2001年、2002年
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「トゥザヴィクトリー」の記事における「2001年、2002年」の解説
悲願のGI制覇に向け、陣営はダートに路線変更を決め、2001年のフェブラリーステークスに出走。初のダート挑戦ながらノボトゥルーの3着と好走した。 その後、ドバイ遠征を計画し、ドバイワールドカップ、ドバイデューティーフリー、ゴドルフィンマイルに登録。ドバイワールドカップはウイングアローとレギュラーメンバーが選出され、トゥザヴィクトリーはドバイデューティーフリーに選出された。しかし、ウイングアローが体調不良により辞退したため、トゥザヴィクトリーが出走意思を表明しドバイワールドカップに選出された。ドバイワールドカップでは世界の強豪を相手に奮闘し、牝馬としてはドバイワールドカップ史上最高着順となる2着で入線し、史上初めてドバイワールドカップで賞金を獲得した牝馬となった。なお、2021年現在もドバイワールドカップにおける牝馬の最高着順記録となっている。 帰国後初戦となるエリザベス女王杯では、長期休み明けもあり歳下の牝馬二冠馬テイエムオーシャンらに人気を許すものの、それまでの先行策から一転、道中は脚をためてゴール寸前で差し切り、混戦を制して遂に悲願のGIタイトルを奪取した。レース後、鞍上の武豊は「ヴィクトリーに勝たせるにはこれしかないという乗り方をした」と語っている。次走ジャパンカップでは四位洋文を鞍上に迎えたが、道中で引っかかってしまい14着と大敗した。しかし、続く有馬記念では逃げてマンハッタンカフェの3着に粘り、テイエムオペラオーに先着した唯一の牝馬となった。そして、ドバイでの善戦やエリザベス女王杯での勝利が評価され、この年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選ばれ、ようやく5歳にしてJRA賞初受賞となった。 2002年初戦となったフェブラリーステークスは4着、2年連続の出走となったドバイワールドカップでは11着に惨敗。同レースを最後に現役を引退し、繁殖生活に入った。
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2001年 - 2002年
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「アドマイヤマックス」の記事における「2001年 - 2002年」の解説
2001年にデビューして新馬戦を勝利、続いて東京スポーツ杯2歳ステークスでは、ローエングリンに次ぐ2番人気で出走、後方から大外に持ち出して、先行馬をかわして後続に2馬身半差を広げて勝利。母ダイナシュートと同じ、デビューから2戦目での重賞タイトルだった。陣営はこの時点で「クラシックを狙える器」だとしていた。続いてラジオたんぱ杯2歳ステークスに出走するが、大外を追い込んできたもののメガスターダムにわずか届かず3着に敗れる。 2002年のクラシックシーズンを迎えた矢先に右橈骨遠位端骨折を発症し戦線離脱、春のクラシック戦線は全休となる。秋のセントライト記念で復帰し、2着と好走。続く菊花賞では2番人気に支持されるが、11着と大敗。続く京阪杯で3着に入ったが、レース後に今度は左橈骨遠位端骨折が判明して手術が行われ、再び戦線からの離脱を余儀なくされる。
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2001年 - 2002年
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「サイボーグ009 (アニメ)」の記事における「2001年 - 2002年」の解説
テレビシリーズ第2作の終了から20年あまりを経て、放送局をテレビ東京に移す形で『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER』のタイトルでテレビシリーズが放送された。後年のパチンコやパチスロも、同シリーズを元にしている。また同シリーズの放送に合わせ、『別冊コロコロコミック』にてまつばらともふみによるギャグ漫画『SDギャグバトル・サイボーグ009〜ゼロゼロ学園危機一髪!』も連載された。
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