伝記史料とは? わかりやすく解説

伝記史料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:40 UTC 版)

ティムール」の記事における「伝記史料」の解説

ティムール存命中、彼の伝記編纂する計画一度持ち上がったが、その大仰かつ過剰な記述表現嫌ったティムールによって却下された。 1424年頃にヤズド出身のサラーフッディーン・アリー・ヤズディー(英語版)が著したペルシア語年代記勝利の書(ザファル・ナーマ(英語版))』は、ティムールと孫のハリール・スルタン事績記している。ティムール事績誇張されている箇所存在するが、宮廷資料使って具体的な事実記録している点で他の伝記より優れている考えられている。16世紀初頭シャイバーニー朝君主クチュクンジ・ハーン(ロシア語版カタルーニャ語版)(在位1510年 - 1531年)の命令によって『ザファル・ナーマ』はチャガタイ語訳され、さらに諸言語訳された。 また、15世紀初頭にはヤズディーの『勝利の書』と同名年代記がニザーム・アッディーン・シャーミー(英語版)によって編纂されている。シャーミーの『勝利の書』は1402年から1404年の間にティムール命令によって編纂開始され史書であり、ティムール考え反映されている信頼性評価されている。しかし、以前別の伝記大言壮語を含む記述によって却下され経緯により、記述簡素情報量はやや少ないものとなったダマスカス出身のアフマド・イブン・アラブシャー(英語版)は12歳のときにサマルカンド連行されティムール亡くなるまで2年の間を彼と生活を共にした。アラブシャーは後年ティムール伝記記し、その記述彼の才能認めながらも、また憎しみ含んでいた。 時代下り1627年ムガル帝国シャー・ジャハーンに、ティムール自身41歳までの前半生記した自伝ティムール法典』(Tuzk-e-Taimuri、"Memoirs of Temur")が献呈された。1610年オスマン帝国イエメン総督ジャアファル・パシャの図書館発見されたもので、アブーターリフ・アル・フサイニーがチャガタイ語からペルシア語訳した。『ティムール法典』は英語、フランス語ロシア語など多く言語翻訳されたが、チャガタイ語原本確認されておらずティムール朝記録でも自伝存在確認できない実際にティムール編纂携わったか否かについては議論分かれているが、後世書かれ偽書仮定しても、ムガル帝国時代事情反映されている史書としての価値評価されている。

※この「伝記史料」の解説は、「ティムール」の解説の一部です。
「伝記史料」を含む「ティムール」の記事については、「ティムール」の概要を参照ください。

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