伝記作家と学究生活(1948年 - 1967年)
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「アイザック・ドイッチャー」の記事における「伝記作家と学究生活(1948年 - 1967年)」の解説
1949年に処女作「スターリン」を発表。この作品でソ連問題及びロシア革命研究の第一人者となったが、その後『武装せる予言者』(1954年)、『武力なき予言者』(1954年)そして『追放された予言者』(1954年)のトロツキー伝三部作を完成させる。本三部作はハーバード大学・トロツキー文書館での詳細な調査に基づき完成を見たが、このうち第三巻に収録されている内容の殆どは、トロツキーの妻ナターリア・セドーヴァが封印を解くまで未公開とされてきたものばかりである。イギリス前首相のトニー・ブレアは2006年、「生涯で最も感銘を受けた書物」としてトロツキー伝三部作を挙げている。 トロツキーに続きレーニンで一連の研究を締める予定であったが、肝心の「レーニン伝」は大学に職を得られなかったショックもあり執筆のモチベーションが上がらず未完に終わる。1960年代にはベトナム戦争に対する反戦気運が高まると、英米両国の大学において教祖的存在にまでまつり上げられる。彼のトロツキズムがマルクス主義ヒューマニズムを帯び始めたのはこの時期である。1965年カリフォルニア大学バークレー校にて初の学内討論会に参加、大勢の学生を前に冷戦批判をぶった。1966年から翌年にかけてケンブリッジ大学でトレヴェリアンについての講義を行い、ニューヨーク州立大学でも6週間にわたり教鞭を執った。1967年春にはニューヨーク大学やプリンストン大学、ハーバード大学のほかコロンビア大学でも客員教授を務めた。「未完の革命」と題したトレヴェリアンについての連続講義の内容は、1967年にローマで急死した直後に出版された。
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