伝記・自伝的テクスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「古代エジプト文学」の記事における「伝記・自伝的テクスト」の解説
キャサリン・パークは、最古の「追悼の銘」は古代エジプトの、紀元前3千年紀のものであると書いている。パークによれば、「古代エジプトでは、ファラオの生涯を定式的に報告することにより王権の連続性を称賛していた。通常は第一人称で書かれていたが、こうした声明は公的で一般的な表彰の言葉であり、個人的な言辞ではなかった。」 これらの古代の碑文と同様に、人間の「〔……〕死に対する生の衝動を祝い、記念し、永遠性を与えたい」という強い欲望が今日書かれる伝記の目的でもあるとパークは付け加えている。 オリヴィエ・ペルデュは、古代エジプトには伝記は存在せず、追悼文は自伝的なものと考えられるべきだとしている。エドワード・L・グリーンシュタインはペルデュの用語法には賛同せず、古代世界には現代的な意味での「自伝」は存在しておらず、古代世界の「自伝的」テクストは現代の自伝とは区別されねばならないと述べている。いずれにせよ、ペルデュもグリーンシュタインも、古代オリエントの自伝は今日の自伝の概念と同一視してはならないと断言している。 ジェニファー・クーストはヘブライ語聖書の『コヘレトの言葉』を巡る議論において、古代世界に真の意味での伝記もしくは自伝が存在していたか否かについては学者の間に確かなコンセンサスは存在しないと説明している。この理論に対する主要な学術的議論の1つに、個人という概念がヨーロッパのルネサンスになるまで存在していなかったというものがあり、クーストは「〔……〕よって、自伝はヨーロッパ文明の産物なのである——アウグスティヌスがルソーを生み、ルソーがヘンリー・アダムスを生み、などなど。」と書いている。クーストは、古代エジプトの追悼的な葬礼テクストにおける第一人称の「私」は、作者とされている人物が既に死んでいるのである以上、文字通りに受け取られるべきではないと断言している。葬礼のテクストは自伝的なものではなく伝記的なものと考えねばならない。こうしたテクストは死者の来世での旅の経験までをも記述しているのが常であったので、「伝記」という言葉を用いることにも問題があるとクーストは警告している。 第3王朝後期の役人の葬礼石碑を嚆矢に、死者の肩書の隣に若干の伝記的事項が書き加えられるようになった。しかしながら、政府高官の生涯と経歴の物語が刻まれるようになるのは第6王朝以降であった。中王国には墓に書かれる伝記はより詳細なものとなり、死者の家族の情報も書かれるようになった。自伝的テクストの圧倒的多数は書記官の官僚に捧げられたものであったが、新王国時代には武官や兵士たちにも若干が向けられるようになった。末期王朝時代には自伝的テクストは、人生で成功するために、正しく行動することよりも神々からの助けを求めることにより重点を置くようになる。初期の自伝的テクストが成功した生涯を祝うことに専念していたのに対し、末期王朝時代のものには古代ギリシアのエピタフと同様に早すぎる死を悼む文章が含まれる。
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