伝統拳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:27 UTC 版)
陳家太極拳 河南省陳家溝の陳一族を中心に伝承されてきた武術で、全ての太極拳の源流。柔軟で緩やかな動きと、纏絲勁(螺旋の道理による力の作用方法)によって全身の勁を統一的に運用して繰り出される豪快な震脚や発勁が特徴である。見た目の動作が比較的大きい大架式と見た目の動作が比較的小さい小架式の2つのスタイルが主流で、大架式からは新架式が派生し、新架式からは趙堡架式が派生した。 一般に広まったのは、20世紀に入り陳氏17世・陳発科が北京で大架系統を教授してからと言われる。忽雷架式 陳氏15世・陳清萍の弟子・李景炎が創始した拳架の一種。緩急の激しい鋭い動作を特徴とする。陳家系の一派だが、別門派として扱われることもある。 楊式太極拳 陳氏14世・陳長興の弟子である楊露禅が創始し、19世紀の北京において広く門弟に教授された。その後も、露禅の子・楊健侯、孫・楊澄甫と三代に渡って改良が加えられ、現在は澄甫が開発した大架式の套路が普及している。大架式の動作がのびのびとして柔らかく、発勁においては一見して激しい動作を行わない点が、陳家太極拳との大きな違いとなっている。 楊式太極拳の理論書としては、健侯の兄・楊班侯の記した『太極拳九訣』や、澄甫の記した『太極拳老譜三十二解』がある。制定拳の基となったことでも知られる。 呉式太極拳 楊露禅より学んだが楊露禅自身の指示で子である楊班侯の門下になった全佑と、その子・呉鑑泉によって創始された。弓歩の際に前傾姿勢をとることが他流派と異なり、小架式の動作は緊密でまとまっている。独特な風格としては軽さと機敏さ、そして円滑さがすべての式で貫き通されることで知られている。套路が多く残されており、特に四正推手から派生した十三式がある推手の技法が多い。系統によって歩距や架式の高さに違いが大きい。鑑泉が上海精武体育会で教授したため、中国国内だけでなく香港を中心として華僑の間にも普及している。 武式太極拳 楊露禅の友人である武禹襄が露禅に陳家太極拳を学んだ後、陳清萍に弟子入りして本格的に陳家太極拳を修め、それに独自の理論を加えて創始した。著名な伝承者である郝為真の姓をとって、郝式太極拳と呼ばれることもある。親族にしか伝承されないなど近年まで保守的な姿勢をとっていたため、伝承者は極めて少ない。太極拳の名称の由来となったと言われる『太極拳譜』は、禹襄の兄・武秋瀛が発見したと伝えられる。 孫式太極拳 孫禄堂によって創始された。形意拳の歩法、八卦掌の身法、武式太極拳の手法が統合されている。開合によって動作を連関し、快速な活歩によって転換することから、開合活歩太極拳とも称される。 上記5つの太極拳流派は、「五大太極拳」と呼ばれる。 和式太極拳 和兆元が陳清萍に学び創始した。陳家太極拳と異なり、発勁に激しい動作を伴わない。陳家太極拳の一派と見なされてきたが、近年、代表的伝統太極拳として認定された。 鄭子太極拳 楊澄甫の弟子・鄭曼青が、楊式太極拳を整理し三十七式にまとめたもの。楊式から認められなかったことと、楊式よりも更に小さく柔らかい動きであることから、楊式とは別の門派として扱われている。套路37式、楊式太極剣、推手、内功(気功)からなり、学習内容が少ないことから簡易太極拳と言われることもあり、楊式太極拳において入門用の套路として教授されることもある。 鄭曼青がニューヨークに移住し現地で太極拳を教授していたことから、主に欧米人の間で普及していた。名称が鄭式でなく鄭子となっているのは、鄭が自らの門派を立ち上げていなかったことに由来している。 古伝統合太極拳 中央国術館副館長であった陳泮嶺が創始した。楊式太極拳を中心に陳家・呉式・武式の各太極拳を取り入れ、更に形意拳、八卦掌の技術を取り込んで編纂され、99勢からなる。双辺太極拳、九十九式太極拳、或いは日本では正宗太極拳とも呼ばれている。
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