伝承と由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 07:54 UTC 版)
「平松のウツクシマツ自生地」の記事における「伝承と由来」の解説
平松のウツクシマツのある美松山の麓に鎮座する松尾神社(湖南市平松)には、ウツクシマツにまつわる次のような伝説が残されている。 平安時代初期の文徳天皇の頃、体調を崩した京都の藤原頼平という公家が養生のため、ここ平松の山麓に家を建て静養の日々を過ごしていた。ある日、松林のある山の方面から美しい娘たちが現れ、自分たちは京の松尾大明神(松尾大社)に仕えるもので、あなた様をお護りするよう大明神様がおっしゃり、その仰せに従い参上いたしましたと言い、娘たちは美しい声で歌い舞い踊り、松の間を戯れたという。ふと気づくと娘たちの姿は無く、目の前の松がすべて見た事のないような美しい姿に変わっており、感嘆した頼平は筆をとり文徳天皇に事の次第を伝えると、朝廷から大納言が勅使として頼平の元へ下向し、松の木々を目にした大納言は、その美しさに「美し松」と名付けたという。体調が回復して京都へ戻った頼平は、早速松尾大社へ参拝し分霊を戴いて平松の地へ帰り、そこへ松尾神社を創建したという。平松の地名は頼平の「平」と松尾神社の「松」からきたものと伝えられ、うつくし松は当松尾神社の神木になっている。 江戸時代後期の1797年(寛政9年)に刊行された『伊勢参宮名所図会 』、および1815年(文化12年)刊行の『近江名所図会』には、「平松村 此村の右の方の山に美し松といふあり。一山凡二町餘の間不殘(あいだのこらず)雌松にて、其生ふる形一樹にして根本より數十幹を出す。甚奇観なり。」と記され、東海道沿いの名所として知られていた様子が分かる。 また、歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』の水口宿で描かれた浮世絵の2作品に「うつくし松」は描かれており、画中に「平松山美松」、「名松平松山の麓」の副題が添えられており、特に「平松山美松」では複数の幹が放射状に分岐する特徴的なウツクシマツの樹形が描かれている。 1921年(大正10年)3月3日にウツクシマツの自生地として、当地の当時の村名である三雲村(みくもむら)を冠した三雲村美松自生地の名称で国の天然記念物に指定され、同村が1955年(昭和30年)4月に岩根村と合併して甲西町となった2年後の1957年(昭和32年)7月31日に、今日の指定名である平松のウツクシマツ自生地へ名称が変更された。 1937年(昭和12年)11月に建立された天然記念物指定石碑。指定当時の「三雲村美松自生地」の名称が刻まれている。 名称変更後の1964年(昭和39年)3月に建立された天然記念物指定石碑。 1964年建立の2本ある石碑のうち高台にあるもの。
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