仁鶴との出会い
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同年12月1日になんば花月で新喜劇の初舞台を踏む。隆子が終幕後に各部屋に挨拶に回った際、それまで一回しか顔を合わせていなかった仁鶴より「キミはこの世界は向かないですよ。早く諦めてお嫁さんになったほうがよい」と告げられたという。 1967年2月、純朴さを保つ隆子に、仁鶴は少なからず好意を抱いて、彼女のうめだ花月での新喜劇公演千秋楽の前日にお茶に誘った。翌日、ご馳走の返礼にと、隆子が弁当をつくって黒塗りの鰻重箱に詰めて仁鶴に手渡すと、仁鶴はことのほか喜び、その翌夜に京都花月近くの焼き肉店にて、仁鶴から「キミのボーイフレンドに入れてほしい、結婚を前提として」とプロポーズされる。隆子は「手帳の末席につけておきます」と返したが、真っ先にと勘違いした仁鶴は滔々と自分の身上について述べ始める。 オトコには、人生で二つの賭けをしなければならないときがあります。二つの賭けに勝った者が、世の中に台頭できるんです。ひとつは一生の仕事を何にするか。もうひとつは、ヨメさんを誰にするか…。仕事は、落語家としてのメドがつきました。もうひとつのヨメさん、キミに決めたんです。だから、賭けられたキミが悩むというのは、おかしいでしょう。 芝居に未練があり、仁鶴との結婚に気乗りしない隆子がこの件について両親に手紙を書いたところ、父親から「嫌いじゃないなら、考えなさい」との返事が速達で届く。これを知った仁鶴は、隆子と結婚する旨と、隆子を新喜劇から退団させたい旨を吉本興業に頼み入れ、即時了承される。 八歳のときに母親を亡くしている僕にとって、弁当は憧れだった。遠足のとき、友だちがのり巻きやおいなりさん、オムスビに玉子焼き、ウインナーにから揚げなどの入った弁当を広げると、そっと離れ、自分で詰めたご飯にカツオ節かけただけの弁当を、一人岩の上で食べていた。キミがつくってくれた弁当は、生まれて初めての弁当だった。嬉しかったなぁ、憧れのお弁当…。もったいなくて、しばらく眺めていた。食べたら、コレが実においしかった。この子…、若いのに、ちゃんと弁当をつくれる…、こんな弁当をつくれるオンナの子なら、マチガイない。もうひとつの賭けに勝つためには、逃してはならない…、ヨメさんにする。まあ、言うたら、天の啓示を受けたようなもんや。 時間を作って仁鶴の師匠である6代目笑福亭松鶴や、隆子の両親への挨拶を済ませる。プロポーズからわずか2週間で、仁鶴が京阪寝屋川市駅近くに17坪の棟割長屋の一軒を購入し、ここを住居として新婚生活をスタートさせた。
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