人造偏光板(偏光フィルター)の開発
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「星野愷」の記事における「人造偏光板(偏光フィルター)の開発」の解説
人造偏光板(偏光フィルター)についての研究は、星野愷がわが国でいち早く着手した研究であり、(1)人造偏光板の製造方法、(2)普通の光(自然光)を偏光板を透過させると、なぜ振動方向が一方向のみに制限されたもの(偏光)になるかという偏光機構の解明、(3)偏光板の応用方法の三部門にわたって行われた。1938年(昭和13年)に星野の研究を基にして、日本最初の偏光板製造が三菱電機(大船工場)によって行われた。航空機からの潜水艦の確認は、海面の反射眩光が邪魔となり困難であったが、偏光板を備えた偏光眼鏡を用いることにより、その障碍を除去することができたので、第二次世界大戦中、この偏光板は海軍で大量に採用された。星野は海軍技術研究所の嘱託として同工場で技術協力を行った。研究の初期においては、硫酸キニーネとヨウ素との化合物ヘラパタイト針状微結晶を合成樹脂マトリックス中に、結晶軸を一定方向にそろえて無数に配列した、多結晶型偏光板を製造して、その光学特性ならびに偏光機構の研究を行った。また、ヨウ素ならびに種々の染料を、ミセルを定方位配列させた高分子フィルムに含浸させたとき発生する偏光作用(繊維二色性)につき研究した。これは高分子型偏光板と呼ばれるもので、今日広く実用されている偏光板製造における先駆的な研究であった。研究の過程で副次的にいくつかの発見・発明も行われた。そのうちの一つは、紫外線2537オングストロームの波長のものを純粋に一本だけ取り出す性能を持つ、紫外線フィルターの製造方法を発明したこと、ならびになぜそのような作用が可能なのかの説明を与えることができた理論的研究である。この紫外線フィルターの実用面の一つは、ある種のウラン鉱石の選定・鑑別にそれが極めて有用なことであった。1945年(昭和20年)12月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)経済科学局は、その製造方法を知るためその実物提出を要求し、星野の学位請求論文にその記載があったのでその全文を英訳した。偏光板の応用については、湾曲偏光板を考案し、また偏光立体映写装置の開発に努めた。
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