人吉市立東間小学校とは? わかりやすく解説

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人吉市立東間小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 23:04 UTC 版)

人吉市立東間小学校
北緯32度12分13.5秒 東経130度45分59.3秒 / 北緯32.203750度 東経130.766472度 / 32.203750; 130.766472座標: 北緯32度12分13.5秒 東経130度45分59.3秒 / 北緯32.203750度 東経130.766472度 / 32.203750; 130.766472
過去の名称 第五大学区白川県第十七中学区第二番小学
第二番小学新町小学校
連区第二番小学新街小学校
求麻郡廣路小学校
人吉町公立廣路小学校
球磨郡尋常廣路小学校
尋常東間小学校
東間尋常小学校
(尋常科4年)
東間尋常高等小学校
(尋常科4年・高等科2年)
東間尋常小学校
(尋常科6年)
東間尋常高等小学校
(尋常科6年・高等科2年)
球磨郡藍田村東間国民学校
人吉市立東間国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 人吉市
併合学校 古仏頂尋常小学校
人吉市立田野小学校
設立年月日 1873年(明治6年)10月
共学・別学 男女共学
分校 木地屋分校(1909年-1962年)
学期 3学期制
学校コード B143210000624
所在地 868-0044
熊本県人吉市東間下町2683番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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人吉市立東間小学校(ひとよししりつ とうかんしょうがっこう)は、熊本県人吉市東間下町にある公立小学校

概要

歴史
1873年明治6年)創立。現校名となったのは1947年昭和22年)。2023年令和5年)に創立150周年を迎えた。
東間教育の源流
  • 至誠」(しせい)-「きわめて誠実なこと、まごころ」
  • 出藍」(しゅつらん)- 「弟子が師より勝ること、出藍の誉れ」
  • 撝謙」(きけん)- 「謙を発揮すること、へりくだること」
東間五則
「自主・勤勉・協同・規律・礼儀」
学校教育目標
「心豊かでたくましく学び合う児童の育成」
校章
花弁を背景にして、中央に校名の頭文字である「東」の文字を配している。
校歌
本校の出身者である[1]犬童球渓によって作詞・作曲されている。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
通学区域
人吉市内の球磨川より南の地域の一部(西間下町、西間上町、東間下町、東間上町など)の胸川中下流域や大畑地区を除いた人吉市東部を校区としている。
人吉市のうち「西間上町、西間下町、東間上町、東間下町、浪床町、七地町、蓑野町、蟹作町、赤池原町、赤池水無町、古仏頂町、木地屋町、田野町、西大塚町、東大塚町」。
また、人吉東小学校区である「南町、寺町、田町、上原町、富ケ尾町」に関しては「特別区域」として当校への変更が可能となっている。
中学校区は人吉市立第一中学校[2]

沿革

  • 1873年(明治6年)10月 - 求麻郡新町に「第五大学区白川県第十七中学区第二番小学」として創立。
  • 1875年(明治8年)4月 - 「第二番小学新町小学校」となる。
  • 1875年(明治8年)7月 - 「連区第二番小学新街小学校」となる。
  • 1877年(明治10年)- 西南戦争により校舎を焼失。
  • 1878年(明治11年)- 「求麻郡廣路小学校」と改称の上、寺町に校舎を新築。
  • 1880年(明治13年)- 「人吉町公立廣路小学校」と改称。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、尋常科を設置の上、「球磨郡尋常廣路小学校」と改称。
  • 1887年(明治20年)- 漆田小学校を統合の上、大畑支校とする。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、球磨郡3村(間・七地・大畑)が合併の上、「藍田村」が発足。
  • 1891年(明治24年)5月 - 尋常廣路小学校を廃止の上、「尋常東間小学校」を開設(児童数133)。大畑支校が分離の上、尋常大畑小学校として独立。大川間分教場を新設。
  • 1892年(明治25年)- 「東間尋常小学校」に改称。
  • 1907年(明治40年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「東間尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。従来の高等科1・2年を尋常科5・6年に改めるため、高等科を廃止の上、「東間尋常小学校」に改称。
  • 1909年(明治42年)
    • 4月 - 古仏頂尋常小学校を統合。木地屋分校を新設。
    • 9月 - 校舎を新築の上、移転を完了。
  • 1911年(明治44年)4月 - 隣町、人吉町からの委託を受け、同町川南地区の児童を収容。
  • 1915年(大正4年)4月 - 高等科(2年制)を設置の上、「東間尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
  • 1919年(大正8年) - 校歌を制定される。
  • 1924年(大正13年)- 講堂が完成。
  • 1929年(昭和4年)7月 - 木地屋分校校舎を増築。大塚分校の校舎を新築。
  • 1936年(昭和11年)3月 - 木造2階建て校舎1棟を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「球磨郡藍田村東間国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 - 人吉市の発足により、「人吉市立東間国民学校」と改称。
  • 1945年(昭和20年)- 校舎に日本軍が駐留し、分散授業が行われる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 国民学校の初等科は、新制小学校「人吉市立東間小学校」(現校名)に改組・改称。
    • 大塚分校が分離の上、人吉市立大塚小学校として独立。
    • 国民学校の高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「人吉市立河南中学校(東間分室)」に改組・改称。小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 河南中学校が旧・熊本県立人吉高等女学校の校舎に移転。中学校との併設を解消。
  • 1958年(昭和33年)- 在籍児童数が最多の914を記録(ピーク)。
  • 1961年(昭和36年)- 新校舎(10教室)が完成。
  • 1962年(昭和37年)3月31日 - 木地屋分校を廃止。
  • 1963年(昭和38年)- 完全給食を実施。
  • 1970年(昭和45年)- プールが完成。
  • 1974年(昭和49年)- 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1982年(昭和57年)- 講堂を解体。体育館が完成。
  • 1984年(昭和59年)3月 - 新校舎(現校舎)が完成。
  • 1990年(平成2年)- 寺町に学校跡地記念碑を建立。
  • 1994年(平成6年)- 運動場を整備。
  • 2004年(平成16年)4月 - 特殊学級「さくら学級」を開設。
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 人吉市立田野小学校を統合。
  • 2023年(令和5年)10月 - 創立150周年記念式典を挙行。

著名な出身者

  • 犬童球渓[1](詩人、作詞家、教育者)- 本校校歌の作詞・作曲を手がけた。

交通アクセス

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

  • あいだこども園
  • 胸川
  • 西瀬橋

脚注

参考文献

  • 「球磨郡誌」(熊本県教育会 球磨郡支会, 1941年(昭和16年)8月25日発行)p.416

関連項目




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