人吉市立大塚小学校
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人吉市立大塚小学校 | |
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北緯32度07分53.6秒 東経130度42分54.5秒 / 北緯32.131556度 東経130.715139度座標: 北緯32度07分53.6秒 東経130度42分54.5秒 / 北緯32.131556度 東経130.715139度 | |
過去の名称 | 尋常廣路小学校大塚分教場 東間尋常小学校大塚分教場 東間尋常高等小学校大塚分教場 東間尋常小学校大塚分教場 東間尋常高等小学校大塚分教場 球磨郡藍田村東間国民学校大塚分教場 人吉市東間国民学校大塚分教場 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 人吉市 |
校訓 | 豊かな心と体 |
設立年月日 | 1885年(明治18年) |
閉校年月日 | 2011年(平成23年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒868-0064 熊本県人吉市東大塚町2752番地7(現・人吉市大塚コミュニティセンター) |
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人吉市立大塚小学校(ひとよししりつ おおつかしょうがっこう)は、かつて熊本県人吉市東大塚町にあった公立の小学校。
2011年(平成23年)3月末をもって閉校し、人吉市立田野小学校に統合された。
概要
- 歴史
- 1885年(明治18年)創立。翌1886年(明治19年)に尋常廣路小学校(東間小学校)の分教場となる。1947年(昭和22年)に独立。2011年(平成23年)に閉校し、126年(独立64年)の歴史に幕を閉じた。
- 校訓
- 「豊かな心と体」
- 校章
- 月桂樹と梅の花弁を背景にして、中央に校名の頭文字である「大」の文字を配している。
- 校歌
- 作詞は秋山秀樹、作曲は新井久好による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「大塚」が登場する。人吉市立第四中学校が分校時代から同じ校歌を有している。
- 通学区域
- 人吉市のうち「西大塚町・東大塚町」、中学校区は人吉市立第四中学校(2005年(平成17年)3月まで)であった。
沿革
- 1885年(明治18年) - 大塚中野に寺子屋式の小学校が創立[1]。
- 1886年(明治19年)- 統合により「尋常廣路小学校 大塚分教場」となる。
- 1892年(明治25年)- 移管により「東間尋常小学校 大塚分教場」に改称。
- 1907年(明治40年)-「東間尋常高等小学校 大塚分教場」に改称。
- 1908年(明治41年)4月 - 「東間尋常小学校 大塚分教場」に改称。
- 1915年(大正4年)4月 -「東間尋常高等小学校 大塚分教場」に改称。
- 1936年(昭和11年)- 大塚官行家庭教育場が設置される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 「球磨郡藍田村東間国民学校 大塚分教場」と改称。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 人吉市の発足に伴い、「人吉市東間国民学校 大塚分教場」と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革と同時に、東間小学校から分離の上、「人吉市立大塚小学校」(最終名)として独立。官行分校および田野分校を設置。
- 1953年(昭和28年)3月31日 - 官行分校を廃止。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 休校となる。田野分校が分離の上、人吉市立田野小学校として独立。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 人吉市立田野小学校への統合により統合。
- 校舎等は「人吉市大塚コミュニティセンター」(公民館)として活用されている。
- 校地は人吉市東大塚町と西大塚町の境界に位置しており、住所表記は大塚小が東大塚町、人吉第四中が西大塚町となっていた。
交通アクセス
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 東大塚簡易郵便局
- 高仁田川
脚注
参考文献
- 「球磨郡誌」(熊本県教育会 球磨郡支会, 1941年(昭和16年)8月25日発行)p.434
- 「大塚小学校と人吉四中 国道267号線沿いの木造校舎」
- 「大塚(おおつか)小学校・人吉第四中学校跡をめぐる【人吉市立・藍田村立・間村立】熊本県人吉市の閉校・廃校になった学校」
関連項目
- 人吉市立大塚小学校のページへのリンク