五十鈴依媛とは? わかりやすく解説

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いすずより‐ひめ【五十鈴依媛】

読み方:いすずよりひめ

事代主神(ことしろぬしのみこと)の娘。綏靖(すいぜい)天皇皇后


五十鈴依媛命

(五十鈴依媛 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/15 05:42 UTC 版)

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五十鈴依媛命
第2代天皇后
在位期間
綏靖天皇2年1月 - 綏靖天皇33年5月10日
皇后 綏靖天皇2年1月
皇太后 安寧天皇元年10月11日

別称 五十鈴依媛、五十鈴依姫命
父親 事代主神
配偶者 綏靖天皇
子女 安寧天皇
異説 河俣毘売(川派媛)、糸織媛
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天皇略系図(初代 - 第10代)

五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)は、『日本書紀』、『旧事本紀』に登場する綏靖天皇皇后

概要

姉の姫踏鞴五十鈴媛命[1]神武天皇皇后であり、豊玉姫玉依姫姉妹と同じく、甥・叔母の異世代婚の系譜を伝える。

『日本書紀』の安寧紀によると、五十鈴依媛命は事代主神の少女(おとむすめ)とあり、これは綏靖紀二年条に「(安寧天皇の父である綏靖天皇は)五十鈴依媛を立てて皇后と為したまう。すなわち天皇の姨(みおば)なり」とあるのと合致する。なお、『古事記』には五十鈴依媛命は登場せず、河俣毘売綏靖天皇皇后である。

考証

五十鈴依媛命の名は姉の姫踏鞴五十鈴媛命と類似し、両者が同一人物であったとする指摘がある。別人であったとしても、古代日本には姉妹が一人の男性に嫁ぐ姉妹婚の例が顕著に見られ、実際には五十鈴依媛命が神武天皇の妃で、安寧天皇は神武天皇の皇子であり、綏靖天皇と安寧天皇は異母兄弟であったとする説がある。同説では、実際の年齢計算からもこのようなことが考えられると指摘している[2]

脚注

  1. ^ 姉姫踏鞴五十鈴媛命の母は『日本書紀』では三島溝橛耳神の娘・玉櫛媛、『旧事本紀』では三嶋溝杭の娘・玉依姫を母に事代主神との間に1男1女のうち妹姫となっている。
  2. ^ 宝賀寿男「第7章 神武一族の系譜」『「神武東征」の原像』青垣出版、2006年、302、303頁。

注釈



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