事績・伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/01 05:42 UTC 版)
「ビセンテ・フェレール」の記事における「事績・伝説」の解説
フェレールの説教は人の心に強く訴えるのが特徴で、地獄の責め苦を荒々しく語り、神に慈悲を願う時は優しく口調を使い分け、熱狂的な説教で飢餓・ペスト・社会不安に怯える聴衆を引き付けた。その人気は高く、ロバに乗って布教へ向かう彼の後を支持者がついていき、1409年にバルセロナを訪問した時は3000人もの人々が徒歩でついていたという。 1413年9月、フェレールがマヨルカ島に招かれ布教した時に奇跡とされる現象がいくつか記録され、パルマ・デ・マヨルカでは3回目の説教で雨が降り、日照りに苦しんでいた人々が喜んだ。続いてバルデモーサでは豪雨に見舞われたが、フェレールが祈祷すると雲が晴れ、説教壇に使っていたオリーブの木は聖遺物として崇められた。マヨルカ島で過ごした期間は約半年だったが、1414年2月にフェレールがアラゴンへ戻る際、市民・参事会員・貴族など別れを惜しんだ人々が港に集まる程の人望を得た。晩年のブルターニュ訪問でも民衆の人気や貴族からの尊敬は健在で、1456年にヴァンヌで遺体が埋葬されたが、ブルターニュ公国が徴税に求めた葬儀費用は大勢の庶民が進んで工面、埋葬も見送った程であった。 生涯にフランス・イングランド・スコットランド・アイルランド・イタリアなどを渡り歩き、説教はラテン語で書き、カタルーニャ語で話していた。カタルーニャ語はヨーロッパの他の言語と起源が同じで、外国でもある程度民衆と意思の疎通は可能だったとされ、フェレールは同行者が残した300編の説教記録で人々に訴えたカタルーニャ語の表現の豊かさが後世に伝えられたことにより、カタルーニャ語文学における重要人物とみなされている。
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