事績と姓名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 02:19 UTC 版)
『中山世譜』によれば、天孫氏は人民に食事、住居、農業、塩や酢の製法を教え、また彼らは、沖縄を「国頭(くにがみ)」・「中頭(なかがみ)」・「島尻(しまじり)」に区分、さらに、間切や按司を設置したと記している。そして、中山にはじめて城都を建築し、これを「首里(しゅり)」としたという。しかし、首里城の築城時期の詳細は不明で、察度もしくは第一尚氏の尚巴志王代の説があるが、首里城正殿で行われた発掘調査では、それ以前の14世紀前半から中頃までには築かれていたと考えられる。 天孫氏は25代続いたといわれているが、各代の姓名は不伝である。高良倉吉は、その理由について、「天帝」という神様の子孫とするなど神話的に語られていることに関係し、実在しない王統をあたかも存在していたかのように史記に記したために、王の名前を明示しえなかったと述べている。また『中山世譜』で、前述のように天孫氏の事績を説明した後に、「遥かに古い時代で、また記録を知らない時代でもあり、さらに度重なる動乱も起きていたので、天孫氏25代の王の姓名は全くもって不明」とし、これに対し、高良は「たいへん苦しいコメント」と述べた。
※この「事績と姓名」の解説は、「天孫氏」の解説の一部です。
「事績と姓名」を含む「天孫氏」の記事については、「天孫氏」の概要を参照ください。
- 事績と姓名のページへのリンク