事績・人柄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 03:15 UTC 版)
先の安閑天皇が崩御したとき、その子供がなかったために同母弟の宣化天皇が満69歳にして即位した。筑紫の官家の整備を行い、大伴金村に命じて新羅に攻められている任那に援軍を送った。即位元年(536年?)に蘇我稲目が大臣となり、子の蘇我馬子以降続く蘇我氏の全盛の礎が築かれることとなる。 また、安閑・宣化朝は父継体天皇死後直ぐに即位した弟の欽明天皇と並立していたとの説(辛亥の変-仮説)もあるが、いずれにせよ、宣化天皇の血統も石姫皇女を通して現在まで受け継がれることとなる。 高齢での即位と、在位が3年余りと短いため、あまり主立った事績はない。人柄は清らかで、君子らしい顔立ちをしていたと言われている。
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