久松定謨とは? わかりやすく解説

久松定謨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 14:24 UTC 版)

久松 定謨
生誕 1867年10月6日
死没 (1943-02-19) 1943年2月19日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
最終階級 陸軍中将
戦闘 台湾征討
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久松 定謨(ひさまつ さだこと、慶応3年9月9日1867年10月6日) - 昭和18年(1943年2月19日)は、日本の陸軍軍人華族伯爵)。旧伊予松山藩久松家の当主で、歩兵第1旅団長・歩兵第5旅団長を歴任し、階級は陸軍中将。位階勲等は正二位勲一等

旧名は鋹三郎。妻の貞子は島津忠義公爵の娘。二男の定武貴族院議員参議院議員を経て昭和26年から愛媛県知事を5期20年務めた。次男の定孝は宮内庁侍従職。孫(定武の子)の定成は元愛媛大学農学部教授靖国神社崇敬奉賛会会長。

経歴

家族

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

  1. ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
  2. ^ この際、補導役として旧松山藩士の子である秋山好古騎兵大尉(当時)が渡仏している。
  3. ^ 【昭和天皇の87年】幼少期から抜群だった記憶力 弟思いの性格も産経新聞、2018.8.11
  4. ^ 久松定謨『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  5. ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。
  6. ^ 『官報』第7046号「叙任及辞令」1906年12月22日。
  7. ^ 『官報』第724号「叙任及辞令」1914年12月29日。
  8. ^ 『太政官日誌』明治6年、第157号
  9. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  10. ^ 『官報』第3379号「叙任及辞令」1894年10月1日。

関連項目

日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
松山久松家初代
1884年 - 1943年
次代
久松定武
当主
先代
­久松定昭
伊予松山藩久松家
1872年 - 1943年
次代
久松定武

久松定謨(陸士旧11期相当)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「久松定謨(陸士11期相当)」の解説

明治35年8月フランス公使館附武官代理大尉)、同年9月に同武官心得大尉)、明治36年11月から明治39年まで駐在武官少佐)。最終階級陸軍中将

※この「久松定謨(陸士旧11期相当)」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
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