中部アフリカの軍事史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:29 UTC 版)
「アフリカの軍事史」の記事における「中部アフリカの軍事史」の解説
中部アフリカも参照 中部アフリカ(中央アフリカとも呼ばれる)はほぼ完全に内陸に存在する。赤道にまたがって存在し、熱帯雨林が多くミネラルや天然資源が豊富である。過去には15世紀からポルトガルの探検家や入植者からの侵略に直面したコンゴ王国が存在した ベルギー領コンゴ(1908–1960)の過酷な植民地時代は国連の平和維持軍も投入されたコンゴ動乱(1960–1965)につながり、特にミネラルが豊富なカタンガ州がベルギーの事業利益と6000人以上のベルギー兵の支援を得ていたにも関わらず1960年に離脱に失敗した後激しさを増した。 その後のコンゴでの紛争は、モブツ大統領を追放するための第一次コンゴ戦争(1996–1997)、第二次コンゴ戦争(1998–2003)では様々な組織や他の多くのアフリカ諸国の介入があったことで、アフリカ地域内戦の様相を呈し、現在も継続中のイトゥリ紛争が起きた 古代チャドのカネム・ボルヌ帝国 (9世紀–19世紀)は領土を現代のリビア南部、ニジェール東部、ナイジェリア北東部、カメルーン北部まで拡大していたが、フラニ族、バッガーラ族、カネンブ族及びワダイ王国からの戦争と攻撃によって滅亡した。 アラブとイスラム勢力は中央アフリカ共和国の歴史に歴史的な衝撃を与えており 、アラブ人の奴隷貿易では中部アフリカの人々が強制的に奴隷にさせられた。 植民地保有国(特にベルギーとフランス)は18世紀~19世紀は支配的な勢力となっていた。 中部アフリカではブルンジ虐殺やルワンダ虐殺 (1994)など東アフリカに匹敵するほどの数多くの内戦や虐殺がおこっており、最も悪名高い軍事独裁者の例として、中央アフリカのジャン=ベデル・ボカサ(1921–1996)とザイールのモブツ・セセ・セコ (1930–1997)がいる。
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