1996–1997
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 16:46 UTC 版)
「シャックとコービーの確執」の記事における「1996–1997」の解説
1996年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズはシャーロット・ホーネッツから高卒で指名されたコービー・ブライアントのドラフト交渉権を、レイカーズの生え抜きのベテランセンター、ブラデ・ディバッツを放出し、獲得した。それまでNBAチームは、高卒のガード選手を指名したことはなかった。他のベテラン選手の退団によってサラリーに空きができたレイカーズは、同年末にフリーエージェントであったオールスターセンターのシャキール・オニールと契約した。当時のコービーはチームメイトと距離を置き、バスケットボール以外のインタビューの質問には一言二言で答えていた。シャックはコービーがレイカーズと合流したとき、レイカーズに「子守をするつもりはない」と言った。コービー自身は18歳という若さにもかかわらず、自分の能力に極めて自信を持っており、チームメイトの中には、コービーの自信を傲慢と解釈する者もなかにはいた。オニールは、新人だったコービーを警戒し、「レイカーズの得点王になる」「リーグ最高の選手になる」と豪語していた。レイカーズのゼネラルマネージャーであるジェリー・ウェストは、そのシーズン、コービーに対するヘイジング(英: Hazing)にオニールのリーダーシップを批判している。シャックの性格がユーモアに溢れていたのに対し、コービーの態度はビジネス一辺倒で、チームメイトの中には自分勝手だと解釈する者もいた。オニールはコービーを派手な攻めから「ショーボート(showboat)」と呼ぶようになった。このシーズン、レイカーズが敗退したユタ・ジャズとのプレーオフの延長戦で、オニールは試合時間の残り2分でファウルアウトとなったため、レイカーズのデル・ハリスヘッドコーチは、ルーキーのコービーを中心にオフェンスを組み立てが、コービーは4本のエアボールを放つまでになった。これに対しハリスは、コービーの1対1のスキルが最適であると説明した。試合後、オニールはコービーに腕を回し、他の機会もあると言った。ウェストは、チームの成功によって判断されることになるため、チームの欠点がオニールを怒らせたと語った。
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