シャックとコービーの確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 07:07 UTC 版)
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シャックとコービーの確執(シャックとコービーのかくしつ、英: Shaq–Kobe feud)とは、1996年から2004年までロサンゼルス・レイカーズで共にプレーした全米プロバスケットボール協会 (NBA) の選手であったシャキール・オニールとコービー・ブライアントの対立のことである。
レイカーズは3年連続 (2000年、2001年、2002年) でNBAチャンピオンに輝き、2004年にもNBAファイナルに進出した。オニールはそれぞれの優勝でNBAファイナルMVPに選ばれたが、彼ら2人の個人的な相違やレイカーズでのそれぞれの役割をめぐる論争が続いた後、シャックがマイアミ・ヒートにトレードで移籍し、ブライアントがレイカーズとフリーエージェントとして再契約を結んだ。レイカーズのヘッドコーチであるフィル・ジャクソンはこれらの出来事をコービーとシャックが一緒に過ごした最後のシーズンに起きたトラブルを振り返りながら、2004年に『The Last Season: A Team in Search of Its Soul』という本を出版している。
原点: 1996-1999
1996-1997

1996年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズはシャーロット・ホーネッツから高卒で指名されたコービー・ブライアントのドラフト交渉権を、レイカーズの生え抜きのベテランセンター、ブラデ・ディバッツを放出し、獲得した[2]。それまでNBAチームは、高卒のガード選手を指名したことはなかった[3]。他のベテラン選手の退団によってサラリーに空きができたレイカーズは、同年末にフリーエージェントであったオールスターセンターのシャキール・オニールと契約した[4]。当時のコービーはチームメイトと距離を置き、バスケットボール以外のインタビューの質問には一言二言で答えていた。シャックはコービーがレイカーズと合流したとき、レイカーズに「子守をするつもりはない」と言った。コービー自身は18歳という若さにもかかわらず、自分の能力に極めて自信を持っており、チームメイトの中には、コービーの自信を傲慢と解釈する者もなかにはいた[5]。オニールは、新人だったコービーを警戒し、「レイカーズの得点王になる」「リーグ最高の選手になる」と豪語していた[6]。レイカーズのゼネラルマネージャーであるジェリー・ウェストは、そのシーズン、コービーに対するヘイジング(英: Hazing)にオニールのリーダーシップを批判している[7]。シャックの性格がユーモアに溢れていたのに対し、コービーの態度はビジネス一辺倒で、チームメイトの中には自分勝手だと解釈する者もいた[8]。オニールはコービーを派手な攻めから「ショーボート(showboat)」と呼ぶようになった[9]。このシーズン、レイカーズが敗退したユタ・ジャズとのプレーオフの延長戦で、オニールは試合時間の残り2分でファウルアウトとなったため、レイカーズのデル・ハリスヘッドコーチは、ルーキーのコービーを中心にオフェンスを組み立てが、コービーは4本のエアボールを放つまでになった。これに対しハリスは、コービーの1対1のスキルが最適であると説明した[10]。試合後、オニールはコービーに腕を回し、他の機会もあると言った[11]。ウェストは、チームの成功によって判断されることになるため、チームの欠点がオニールを怒らせたと語った[12]。
1998-1999
ロックアウトで50試合しか行われなかった1998-99シーズンには、デニス・ロッドマンが短期間在籍し、ハリスヘッドコーチが解雇され、元レイカーのカート・ランビスが暫定ヘッドコーチとして務めた。ロックアウトの間、オニール、ブライアント、デレク・フィッシャー、コリー・ブラントらは、2対2の形式で試合を行っていた。ブライアントは練習中いつも体を張っていたが、他の選手たちはブライアントの練習への取り組み方を嫌っていた。その後フィッシャーは、「あれは本当に、みんながやるべきプレーだったんだ。コービーの精神で」と話している。試合中にオニールはブライアントを平手打ちしたが、フィッシャーはオニールもブライアントも本当に喧嘩を始めたのではなく、二人とも体当たり的な行為をしていたのだと言った[13]。シーズン中、チームは自分たちの問題はブライアントの自分勝手なプレーのせいだと考えていた。ある時、オニールがブライアントを指差して、ロッカールームで記者に「問題があるんではないでしょうか? (There's the problem) 」と言ったことがあった[14]。南カリフォルニアのスポーツ用品店では、ブライアントのジャージがオニールのジャージより売れており、オニールがオーランドで一緒にプレーしていたペニー・ハーダウェイの時と同様に嫉妬しているという噂が流れた。「それは真実からかけ離れているフェイクだよ!」、「シャックがしたいのは勝つことだけだ喧嘩は良くないよね」とフィッシャーは語った[15]。インタビューでブライアントの成長の苦しみを手助けしたかと聞かれたオニールは、「あまり人を助けないようにしている」と答えた。「経験こそが最高の教師だ。コービーは偉大な選手だ。彼は新進気鋭の若手だ」と答えた[15]。オニールはランビスがブライアントに好意的だと思っていたため[16]、ランビスがベテランのチームリーダーであるオニールに、溝を癒してブライアントと話をしてほしいと頼んだ時、オニールに"無表情で冷たい視線"を向けられたという[17]。オニールとブライアントの溝は、プレーオフでも続き、その年のプレーオフの1回戦でレイカーズはヒューストン・ロケッツに勝ったものの、2回戦ではサンアントニオ・スパーズにシリーズ4勝0敗で完敗したのである[18]。
スリーピート: 1999–2002
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1999-2000

チームメイトとして過ごした晩年: 2002–2004
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レイカーズがオニールを放出: 2004–2006
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2004-2005
確執の和解: 2006–2011
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脚注
- ^ Lazenby, pp. 378–9, 399–400, 428–9.
- ^ Green Jr, Ron (2010年3月5日). “Kobe Bryant was once a Charlotte Hornet, for 13 days”. Charlotte Observer 2010年7月17日閲覧. "West knew no NBA team had drafted a backcourt player straight out of high school ..." [リンク切れ]
- ^ “History of the Lakers”. NBA.com. 2010年7月17日閲覧。 “The arrival of Shaquille O'Neal necessitated the trading of longtime center Vlade Divac, and the trading or renouncement of several other veterans”
- ^ Plotz, David (2001年6月1日). “Los Angeles Lakers: Why the NBA's unbeatable team will collapse (but not this month)”. The Washington Post Company. 2010年7月17日閲覧。 “Nothing in either man's character suggests he will be satisfied playing second banana.”
- ^ Lazenby 2006, p.324
- ^ O'Neal, Shaquille; MacMullan, Jackie (2011). Shaq Uncut: My Story. Grand Central Publishing. pp. 123–124. ISBN 978-1-4555-0441-1
- ^ O'Neal, MacMullan 2011, p.131
- ^ Lazenby 2006, p.325
- ^ Lazenby 2006, p.328
- ^ Lazenby 2006, p.332
- ^ Lazenby 2006, pp.336–7
- ^ Lazenby 2006, p.335
- ^ Lazenby 2006, p.349
- ^ Lazenby 2006, pp.350–1
- ^ a b Lazenby 2006, p.351
- ^ O'Neal, MacMullan 2011, p.132
- ^ Lazenby 2006, p.361
- ^ Armour, Terrence E. (1999年6月14日). “Jackson Set To Sign 4-year Lakers Contract”. Chicago Tribune 2010年7月28日閲覧. "There also was a growing rift between O'Neal and Bryant, and it carried over into the playoffs."
参考文献
- Lazenby, Roland (2006). The Show: The Inside Story of the Spectacular Los Angeles Lakers in the Words of Those Who Lived It. New York City: McGraw-Hill Professional. ISBN 978-0-07-143034-0 2011年4月18日閲覧。
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