中部イタリアにおけるカルタゴ軍の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:53 UTC 版)
「ゲロニウムの戦い」の記事における「中部イタリアにおけるカルタゴ軍の動き」の解説
カリファエ山の峠を通ってアゲル・フレルヌスを脱出した後、カルタゴ軍の動きは大量に鹵獲した家畜のためにゆっくりとしたものであり、冬営地に適した場所を探していた。ファビウスとローマ軍は直接接触を避けるように距離をとり、カルタゴ軍を追尾した。ハンニバルは北のヴェネフラムへ向かったが、ローマはこの都市がカルタゴ軍の目的だと警戒した。しかし、カルタゴ軍は急に東に転進しサムニウムに入り、アペニン山脈を越えてペリグニアル平原を通過して、現在のモリーゼ州付近へ達した。カルタゴ軍は現在のカザカレンダ近くのゲロニウムという街を奪取した。ファビウスはハンニバルを追尾し続け、北方20マイルのラリヌムの丘陵部に野営した。ファビウスが抵抗しなかったために、カルタゴ軍が通過した場所では農場や家屋は破壊され、資産は奪取され、また捕虜を獲得していった。
※この「中部イタリアにおけるカルタゴ軍の動き」の解説は、「ゲロニウムの戦い」の解説の一部です。
「中部イタリアにおけるカルタゴ軍の動き」を含む「ゲロニウムの戦い」の記事については、「ゲロニウムの戦い」の概要を参照ください。
- 中部イタリアにおけるカルタゴ軍の動きのページへのリンク