中部アフリカ共同体 (Community of Central African States)
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「アフリカ紛争」の記事における「中部アフリカ共同体 (Community of Central African States)」の解説
コンゴ、ガボン等中部地域が統合した組織。旧国境は現行地図と重ならない。 2034年3月 - かねてよりCA政権に不満を抱いていた北部州方面軍が独立政府ZAINGO(ザインゴ)の樹立を宣言し、武装蜂起。政府軍は主力だった機甲師団をザインゴ側に奪われる形となったため、劣勢に陥る。防衛線が後退する中、CAはSAUSに支援を要請。CA政府首脳部はザインゴの侵攻に伴い、速やかに国外へ脱出。残された政府関係者が事態の建て直しに奮闘するも、警察などの民兵に頼らざるを得ない政府軍は劣勢が続き、防衛線は後退する。一方、ギニアナからも支援を受けたザインゴは北部地域を固めるとコンゴ盆地にまで侵攻。一時は地域の商業中心地キサンガニ西60kmにまで迫った。 2034年4月 - SAUSは要請を受諾。かねてより関係の深かったO.C.U.に協力を打診する。O.C.U.は大規模な支援は各共同体に与える影響からして望ましくないとしたため、少数の部隊で最大限の効果を挙げるべく、方法を模索する。そこで、当時注目されていた戦闘用WAWを投入することを決定した陸防軍は即座に部隊編成を行った。編成された部隊はWAW3機からなり、そこにはJM社からもエンジニアを伴っていた。即座にOCUの情報衛星との連携下にあったSAUS情報部直属のもとに支援1個小隊を加え、編入された。部隊は、キサンガニ包囲を図る軍の前線を突破。民兵による各個撃破の足がかりを作った。
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