中村 秀仁

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中村秀仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 00:28 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動中村秀仁(なかむら ひでひと、1945年(昭和20年)8月19日 - )は、日本の囲碁棋士。山梨県出身、長谷川章名誉九段門下、日本棋院所属、九段。首相杯争奪高段者トーナメント優勝、など。
経歴
1966年初段。1967年二段。1968年大手合第二部5等、三段。1969年四段。1972年五段。
1976年第1期新人王戦準優勝、首相杯ベスト4、六段。1978年、棋聖戦六段戦優勝、首相杯優勝、七段。1979年十段戦勝者戦ベスト4。1981年八段。1983年棋聖戦八段戦準優勝し最高棋士決定戦出場、準々決勝で藤沢秀行に敗退。1984年大手合第一部2等。1985年九段。1987年天元戦ベスト8。
1979年、1983年に日中囲碁交流訪中団に参加。2005−06年に棋士会副会長。通算成績748勝516敗7ジゴ(2020年3月)。
参考文献
- 『囲碁年鑑』日本棋院
外部リンク
「中村 秀仁」の例文・使い方・用例・文例
- 中村さんですよね
- 後藤投資株式会社のシステム二課の中村と申します。
- 中村さんは東京ではしご酒をした。
- 中村さんはご在宅ですか。
- 大阪の中村さんから料金受信人払いの電話が入っています。お受けになりますか。
- 会は中村氏の司会で開かれた.
- 中村は反則で退場となった.
- (内線で)中村はただ今会議室におります. そちらへ電話をお回しいたしましょうか.
- 中村何とかといったっけ.
- タイムアップ寸前に中村がワンゴールを決めた.
- 中村字根岸
- 秀吉は尾張中村で産声を揚げた
- (江戸時代)江戸三座という,中村座と市村座と森田座の三劇団
- 中村市という市
- 中田英(ひで)寿(とし)選手,中村俊(しゅん)輔(すけ)選手,小野伸(しん)二(じ)選手,稲本潤(じゅん)一(いち)選手がヨーロッパから戻り,代表チームに加わった。
- 秋(あい)穂(お)巧(たくみ)(中村獅(し)童(どう))は,1年前,妻の澪(みお)(竹内結(ゆう)子(こ))を失った。
- 最も高い技量を持つ最後の挑戦者は日本人格闘家,田中安(あん)野(の)(中村獅(し)童(どう))だ。
- そのリストには,ミッドフィルダーの中田英(ひで)寿(とし)選手,中村俊(しゅん)輔(すけ)選手,小野伸(しん)二(じ)選手らがいる。
- 歌舞伎俳優の中村勘(かん)三(ざぶ)郎(ろう)さんはその団体の発起人の1人だ。
- 開会式の選手宣誓で,三重高校の中村浩(ひろ)樹(き)主将は「全力プレーで日本中を熱くします。」と誓った。
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