中央準備委員会の第7回総会とは? わかりやすく解説

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中央準備委員会の第7回総会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:46 UTC 版)

第2バチカン公会議」の記事における「中央準備委員会の第7回総会」の解説

1962年6月18日最終総会である中央準備委員会の第7回総会が開かれた。 この最終会議2日前、中央準備委員会対立関係にある2草案討論する一つは、オッタヴィアーニが直接作成した神学委員会の「教会国家との関係と宗教的寛容に関する草案である。もう一つベアキリスト教一致促進事務局による「信教の自由草案である。 枢機卿たちは2つ陣営分かれて激論交わした。オッタヴィアーニ草案中心にある関心事カトリック信仰保護であり、真の宗教における市民全員一致基礎をおいた世俗共通善保全であった。自由とは、真理善徳のためであって誤りや悪のためにあるのではない。ベア草案では、すべての場合すべての人々信教の自由適用されるとした。イタリア系スペイン系、ラテン・アメリカ系の教父らはオッタヴィアーニの草案賛成しアメリカ、イギリスドイツオランダフランス教父たちはベア草案支持して委員会真っ2つ分かれた。 この準備委員会はほとんどが教皇庁職員によって編成されていたが、彼らの手73にのぼる公会議文書草案完成した。この委員会多く草案変更し不採用にした草案もあり、教会法改訂委員会送り返されたり、他の草案合併したものもあった。件数圧縮され縮小され 73から 20減った7月13日草案の内、公会議討議されるべき7つ将来公会議教父たちに送付された。スキレベークス神父はこの草案厳しく批判しドイツ語圏の司教たちに広く配布した。これは各国語訳され広く読まれた。 7月20日中央準備委員会職務終了した公会議には枢機卿団司教団や修道会長上顧問神学者団以外にも、歴史上初めて、オブザーバーとしてプロテスタント教会東方正教会代表者たちに参加要請された。実際にそれらの代表団バチカン到着したことで、議題一つであった教会一致エキュメニズム)へ向けた機運高まっていった。 前述人々を含む会議参加者史上空前規模で、予定参加者は実に2908人に及んだ実際に第1会期初日参加できたのは2540人であり、全日程に参加した人数2100人から2300人前になったが、それ以外にも投票権を持つ参加者 (公会議教父) が私的な顧問として招聘した神学者たちや随員含めると、参加者関係者合計膨大な数に上っていた。

※この「中央準備委員会の第7回総会」の解説は、「第2バチカン公会議」の解説の一部です。
「中央準備委員会の第7回総会」を含む「第2バチカン公会議」の記事については、「第2バチカン公会議」の概要を参照ください。

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