中央準備委員会の典礼についての討議
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「第2バチカン公会議」の記事における「中央準備委員会の典礼についての討議」の解説
中央準備委員会の総会では3月から4月にわたり、典礼に関して討議された。3月27日、アンニバレ・ブニーニ神父の臨席のもと、ララオナはブニーニ草案のミサの通常文の改革計画を出席者の教父たちに説明した。ララオナはこの改革に抵抗を試みたが、自分の前任者であったガエタノ・チコニャーニ枢機卿が署名していたので、やむなく説明にあたっている。この草案は革新的な原則に従って、典礼全体を体系的に改革する計画であった。リベラルな教父たちは賞賛した。デフナーは「中央委員会に提出された全ての草案の中で、最も注目するに値するものの一つである」と賛美した。レルカノ枢機卿もこの草案に賛成した。 「ローマ派」の枢機卿たちは反対した。オッタヴィアーニは「過度な革新に大きく門を開きすぎる」と批判した。ゴッドフレはこの改革は「キリスト教徒らに驚愕を引き起こす革命的な改革」(オッタヴィアーニ)であり、「礼拝を捨て去り聖伝を蔑視するという意味で反典礼的だ」と異議を唱えた。 3月30日、アガジアニアン枢機卿は、宣教国のために自国語のミサを提案した。ルフェーブル大司教は「典礼と典礼様式に関して、司教評議会が法規を制定することができるという原則が受け入れられると、それがたとえ教皇の承認をもって初めて許可されるとしても、民族的典礼と国民典礼様式とに回帰してしまい、典礼の一致のための過去の2世紀のすべての努力が無駄になってしまい、芸術とグレゴリオ音楽は没落、無秩序状態になる危険がある」と指摘した。
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