中央公論社時代とは? わかりやすく解説

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中央公論社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:22 UTC 版)

安原顯」の記事における「中央公論社時代」の解説

竹内書店解散方向になり『パイディア』終刊後中央公論社入社。『海』の編集者となる。当時『海』の編集者であった村松友視編集長対立し異動願い出したため、「代理要員」としてスカウトされたというのが安原入社理由であった安原親しくなった村松はそのキャラクター把握し、「こいつを、一人放置してはまずいことになる」と考え異動願い撤回した安原編集部在籍中に『レコード芸術』に執筆したコラム大江健三郎罵倒したため、大江1年間中央公論社主催谷崎潤一郎賞選考委員辞退する事件発展した。 のち塙嘉彦が『海』編集長就任し、塙、安原村松とで、雑誌『海』の黄金時代築いた。また『海』編集部一同で、当時富士日記」を連載していた、武田百合子宅を毎月一回訪問して歓談した村松安原死後評伝ヤスケンの海』(幻冬舎2003年5月、のち文庫再刊)を出版安原の「いい加減で破天荒」なキャラクター綴った。「『過剰な読者+過剰な編集者』の目線雑誌作れる、有能な編集者であった」と評し、妻まゆみを、安原広く包んだスケール大きな人物」として描いた。『ヤスケンの海』文庫判表紙安原似顔絵も、村松描いている。 1984年5月をもって『海』は終刊安原売れ行き不振廃刊直前の『マリ・クレール』に移り同年6月号から副編集長となる。「書評欄」を新設し、さらに同年9月号で「特集読書快楽」を企画したところ、当時は「ニューアカブームで「知がおしゃれ」だったことも追い風となり、雑誌完売となる。以降同様の路線続け女性ファッション誌を「知的な思想文芸雑誌」に変貌させる。ただし、安原企画した文庫本ベスト」が、当時社長嶋中鵬二から「他社宣伝行為だ」とクレームつけられリスト一部を、他社文庫から中公文庫差し替えるよう、著者依頼する事態になったこともあった。『マリ・クレール』での特集は、多くが、親交のあった見城徹依頼し角川文庫刊行された。

※この「中央公論社時代」の解説は、「安原顯」の解説の一部です。
「中央公論社時代」を含む「安原顯」の記事については、「安原顯」の概要を参照ください。

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