下御霊神社とは? わかりやすく解説

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下御霊神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/26 16:38 UTC 版)

下御霊神社
所在地 京都府京都市中京区寺町通丸太町下る下御霊前町
位置 北緯35度01分01秒 東経135度46分04秒 / 北緯35.01694度 東経135.76778度 / 35.01694; 135.76778 (下御霊神社)座標: 北緯35度01分01秒 東経135度46分04秒 / 北緯35.01694度 東経135.76778度 / 35.01694; 135.76778 (下御霊神社)
主祭神 吉備聖霊
崇道天皇
伊予親王
藤原大夫人
藤大夫
橘大夫
文大夫
火雷天神
社格 府社
創建 貞観5年(863年
札所等 京洛八社集印めぐり
例祭 5月第3日曜日(御霊祭)
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下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区下御霊前町にある神社。旧社格府社。社名は上御霊神社に呼応するものである。

歴史

桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京神泉苑御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来、京都御所産土神として崇敬された。

元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある下出雲寺御霊堂に祀られていた。北には上出雲寺御霊堂と呼ばれていた上御霊神社があった。後に新町出水に移され、その後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の都市整備にともない現在地である西園寺実氏の別荘・常盤井殿があった地に遷座した。

享保年間(1716年 - 1736年)には霊元天皇の霊を配祀している。

現社殿は天明8年(1788年)の天明の大火で旧社殿が焼失したのち、仮皇居の内侍所仮殿を寛政3年(1791年)に移建したものである。

明治時代になると府社に列せられている。

なお、式内社研究家の志賀剛は延喜式神名帳に記載される出雲井於神社(式内大社)を当社に比定している。

祭神

祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。

これらの諸神はいずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。

相殿に天中柱皇神として霊元天皇が祀られているが、これは当時の神主である出雲路信直・直元父子が天皇と親交があったことによると考えられている[1]

境内

文化財

重要文化財

京都市指定有形文化財

  • 本殿
  • 幣殿
  • 拝所
  • 廻廊

祭事

明治までは神輿迎が7月18日に御霊祭は8月18日に行われていたが、明治以降は5月1日が神幸祭、18日が還幸祭と改められ、8月18日は例祭日と定められて東遊が奉奏される。現在では還幸祭は5月の第3か第4日曜日に行われており、宵宮では地域の小学校と連携した子供神輿も催されている。

脚注

  1. ^ 山口和夫「霊元院政について」(初出:今谷明・高埜利彦 編『中近世の宗教と国家』(岩田書院、1998年)/所収:山口『近世日本政治史と朝廷』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-03480-7) 2017年、P229-230

関連項目

外部リンク





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