上田蚕糸専門学校時代
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「上田蚕糸専門学校 (旧制)」の記事における「上田蚕糸専門学校時代」の解説
1910年3月26日: 勅令第66号文部省直轄諸学校官制改正により上田蚕糸専門学校設置。 1910年12月: 学則公布。本科 (修業年限3年) に養蚕科・製糸科を設置。 1911年4月: 17日、始業式。18日、第1回入学宣誓式。19日から10日間、農場 (桑園) 開墾作業。 1911年6月: 校歌制定 『御国の為にますらをが』 (上田萬年 作詞、東京音楽学校 作曲)。 1913年10月15日: 開校式挙行。 1914年2月: 火災で養蚕教室焼失。 1914年3月: 第1回卒業。 1915年1月: 寄宿舎竣工 (1920年、「修己寮」 と命名)。同窓会発足。原則として全寮制となった。 1918年2月: 校長排斥・学校民主化を求める同盟休校。養蚕科教授の転任問題が発端。教授・同窓生の説得で沈静化。 1919年5月: 本科に絹糸紡績科を増設 (製糸科から独立)。 1931年5月: 製糸教婦養成科を設置 (2年制、高等女学校卒業者対象)。 1932年8月: 菅平高原に庇宇亭 (ヒュッテ) 建設。 1934年4月: 絹糸紡績科を絹紡織科と改称。 1935年10月: 同窓会 「千曲会館」 竣工。 1937年12月: 校友会歌制定 『大いなるかな浅間山』 (加子三郎 作詞、橋本國彦 作曲)。 1940年: 本科に繊維化学科を増設。 1940年8月: 同窓会 「千曲会」 が社団法人化。 1941年12月: 戦時措置による最初の繰上卒業。 1942年12月: 製糸教婦養成科を製糸教婦科と改称。
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