上田繊維専門学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:16 UTC 版)
「上田蚕糸専門学校 (旧制)」の記事における「上田繊維専門学校時代」の解説
1944年4月: 上田繊維専門学校と改称。設置学科を改組。養蚕科 + 製糸科 → 蚕糸科、絹紡織科 → 紡織科、繊維化学科 (そのまま)、繊維農業科 (新設)。 1945年6月: 米沢工専旧紡織科の機器を搬入。 1945年12月: 専修科を設置 (蚕糸科・紡織科、1947年2月廃止)。 1946年4月: 蚕糸科を分科、養蚕科・製糸科が復活。 1947年2月: 大学昇格期成同盟会発足。単独での大学昇格を目指した。 1947年6月: 大学昇格運動で三繊専 (東京、京都、上田) が協同。 1948年4月: 長野県高専校長会議で、信州大学・上田繊維大学並立案。 1949年5月: 衆議院文教委員会で単独昇格否決。 1949年5月31日: 新制信州大学発足。旧制上田繊専は繊維学部 (養蚕学科・製糸学科・紡織学科・繊維化学科) の母体として包括された。 1949年10月: 繊維学部本館竣工。旧繊専本館は1962年1月に焼失。 1951年3月: 旧制上田繊維専門学校、廃止。
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