一般的なイメージと論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 08:16 UTC 版)
「フィリップ・キルコロフ」の記事における「一般的なイメージと論争」の解説
彼はキャリアの大部分において「悪役」のイメージを維持しており、数多くのメディアで論争を巻き起こしている。 もっとも悪名高いスキャンダルは、2004年5月20日にロシアのロストフ・ナ・ドヌで起こった事件である。記者会見において、多くの曲においてアメリカとヨーロッパのヒット曲をカバーしている理由を尋ねた女性ジャーナリストのイリーナ・アロハンを、彼はロシア語のスラングを用いて侮辱したのである。そして、彼はアロハンに対して「あんたのピンクのブラウス、胸、そしてマイクにはもう飽き飽きだよ。」と言い放ち、記者会見が行われていた部屋から出るよう要求した。そして彼女が退室すると、彼のボディーガードは退室した彼女を攻撃し、彼女のテープレコーダーを破壊した。この事件はマスメディアにおいて大きく取り上げられ議論となった。2004年8月11日、ロシアの刑法130条の侮辱罪に当たるとの判断が下され、彼には6万ルーブル(当時の日本円で約17万円)の罰金が科された。 2004年のウクライナ大統領選挙では、候補者であったヴィクトル・ヤヌコーヴィチが開催したコンサートに、ブルガリアの有名歌手であったキルコロフの父ベドロス・キルコロフ(英語版)が招待され、ウクライナの人々に対し対立候補であったヴィクトル・ユシチェンコへの投票をするよう間違って呼び掛け、聴衆から喝采を浴びた。 また、ロシアのロック歌手とロシアのロックバンド「DDT(英語版)」のフロントマンであるユーリ・ シェフチュク(英語版)との論争の末に、キルコロフがボディーガードを送り込んで公共の場で彼らを攻撃したという事件もあった。(シェフチュクはボディーガードを雇っていないことで知られているにも関わらず、である。)その理由については、シェフチュクがキルコロフや彼の妻、彼の口パク疑惑に対して攻撃的な態度を取ったことであると報じられた。 2009年5月15日、彼は2009年のユーロビジョン・ソング・コンテストにおいて、ギリシャ代表のサキス・ルーヴァスと一緒にカメラに向かってポーズを取ったり、ノルウェー代表のアリャクサンドル・ルィバークと一緒に夕食を食べていたことが判明し、ロシアの審査委員長を辞任した。さらに、キルコロフは彼とルーヴァスがもう何年も個人的な友人であったことを認めた。審査員の公平性が損なわれたとみなされるため、彼はこの情報が公開されることによって審査委員長を辞めざるをえなかった。 2009年9月3日、彼は金色のスーツに身を包んで臨んだ悪名高い2008年の音楽賞において、カメラを取り上げている瞬間を、ジャーナリストによって別のカメラで撮影された。この行為は強盗と解釈されれば、法律により2〜7年の投獄および重い罰金刑にされていたところであったが、この告発は中断された。キルコロフはこの行為はジャーナリストによって「誘発された」ものであると述べた。 2010年、彼がパフォーマンスで群衆の間を歩いている際に、女性の観客にぶつかっている様子が見られた。 2010年12月4日には、コンサート会場での照明への不満がもとでアシスタントの女性を叩いたとされる事件が起こった。その女性がキルコロフに対して訴えると脅したことで、キルコロフはイスラエルに逃亡し、精神病院に入院した。 2010年12月7日、彼は公式ウェブサイトにおいて心理的な問題があったと認め、女性に対して謝罪した。 ロシアの俳優Nikita Dzhigurdaは、トーク番組の最中に、キルコロフを含む著名なロシアのポップ歌手の前で、異性愛者の立場ではないことをほのめかした。Dzhigurdaは「出ていけ!手遅れになる前にここから出ていけ!」と警告して番組は終わった。 2016年11月29日、ロシアのメディアは、フランスのミュージシャンDidier Marouaniが、モスクワで強要および名誉毀損の罪でロシア警察により拘束されたと報じた。この拘束は、キルコロフの苦情に基づいて行われた。Marouaniの著作権に関する考えがキルコロフと一致しなかったことが原因である。
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