ヴァニティフェアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 出版物 > 雑誌 > アメリカ合衆国の雑誌 > ヴァニティフェアの意味・解説 

ヴァニティ・フェア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/10 05:08 UTC 版)

ヴァニティ・フェア
Vanity Fair
編集者 ラディカ・ジョーンズ英語版
カテゴリ 文化
刊行頻度 月刊
総発行部数
(2019年12月)
1,225,706[1]
創刊号 1983年2月 (42年前) (1983-02)
発行元 コンデナスト・パブリケーションズ
アメリカ合衆国
言語 英語
ウェブサイト vanityfair.com
ISSN 0733-8899
テンプレートを表示

ヴァニティ・フェアVanity Fair)は、アメリカ合衆国コンデナスト・パブリケーションズが発行している月刊誌である。主に大衆文化ファッション、時事問題を扱う。

1913年から1936年まで、同名の雑誌が発刊されていた。現在の雑誌は1983年から発行されているもので、他に5つの国際版が発行されている。2018年現在の編集長 (Editor-in-Chief) はラディカ・ジョーンズ英語版である。

歴史

ドレス・アンド・ヴァニティ・フェア

1924年の『ヴァニティ・フェア』の表紙

コンデ・モントローズ・ナストは1913年に『ドレス』という男性向けファッション雑誌を買収し、出版業界に進出した。ナストはこの雑誌を『ドレス・アンド・ヴァニティ・フェア』と改称し、1913年に4号を発行した。この雑誌は1920年代に最盛期を迎えた。その後、世界恐慌による広告収入の減少があったが、発行部数は9万部でピークに達した。

1935年8月号では日本皇室に対して不敬マンガと表題を掲載、日本からアメリカに対して抗議が行われるなど国際問題化した[2]

1936年1月6日、コンデ・ナストは経営不振を理由に[3]、1936年3月号で『ヴァニティ・フェア』が『ヴォーグ』(発行部数15万6千部)に統合されると発表した[4][5]

20世紀の復刊

サミュエル・アーヴィング・ニューハウス・ジュニアの所有下にあったコンデナスト・パブリケーションズは、1981年6月、『ヴァニティ・フェア』を復刊させることを発表した[6]。復刊号は1983年2月発売の3月号となり、初代編集長は『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』の元編集者のリチャード・ロック英語版が務めた[7]。3号発行した後、編集長は『ヴォーグ』のベテラン特集編集者であるレオ・ラーマン英語版に交代した[8]。その後、ティナ・ブラウン英語版(1984年 - 1992年)、グレイドン・カーター英語版(1992年 - 2017年)、ラディカ・ジョーンズ英語版(2017年 - )が編集長を務めた。レギュラーライターやコラムニストには、ドミニク・ダン英語版セバスチャン・ユンガー英語版マイケル・ウォルフモーリーン・オーズ英語版クリストファー・ヒッチェンズなどが名を連ねている。また、ブルース・ウェーバーアニー・リーボヴィッツマリオ・テスティーノハーブ・リッツなどの有名な写真家が、セレブリティの豪華な表紙やフルページのポートレートを雑誌に提供してきた。その中でも特に有名なのは、1991年8月号の表紙に使われた、妊娠中の裸のデミ・ムーアをリーボヴィッツが撮影した、『モア・デミ・ムーア英語版』と題された写真であり[9]、掲載当時物議を醸した。

物議を醸した写真だけでなく、この雑誌は様々なトピックに関する記事も掲載している。1996年には、ジャーナリストのマリー・ブレナー英語版がタバコ業界についての暴露記事「The Man Who Knew Too Much(知りすぎた男)」を執筆した。後に、この記事を原作とするアル・パチーノラッセル・クロウ主演の1999年の映画『インサイダー』が制作された。最も有名なのは、1974年のウォーターゲート事件の情報源の一人である「ディープ・スロート」の正体が当時のFBI副長官マーク・フェルトであったことを、30年後の2005年5月号の記事で明らかにしたことである。この雑誌はまた、毎月のプルースト・アンケート英語版など、著名人へのインタビュー記事も掲載している。これまでに、幼少期に性的虐待を受けていたことを初めて明かしたテリー・ハッチャージェニファー・アニストンへのブラッド・ピットとの離婚後初のインタビュー、弟の死について語ったアンダーソン・クーパーマーサ・スチュワートの出所後初のインタビューなどが話題を呼んだ。

『ヴァニティ・フェア』に掲載された写真の中には、批判を集めたものもある。1999年4月号には、デビッド・ラシャペルの撮影による俳優マイク・マイヤーズヒンドゥー教の神々に扮した写真が掲載された。批判を受けて、編集部とラシャペルは謝罪した[10]

ジャーナリストのトビー・ヤング英語版の著書『How to Lose Friends & Alienate Peopleは、ヤングが『ヴァニティ・フェア』でグレイドン・カーター編集長の下で働きながら、ニューヨークでの成功を模索していた時のことを題材としている。この本は2008年に映画化され、カーターの役をジェフ・ブリッジスが演じた[11][12]

2008年4月25日、15歳のマイリー・サイラスが『ヴァニティ・フェア』の写真撮影でトップレスのポーズをとっていたと、テレビの情報番組『エンターテイメント・トゥナイト』で報じられた[13]。この写真とその後公開された舞台裏の写真には、サイラスがトップスなしで背中を露出し、シーツで前身頃を覆っている姿が写っている。撮影はアニー・リーボヴィッツが担当した[14]。写真の全貌は、2008年4月27日に『ニューヨーク・タイムズ』紙のウェブサイトに掲載された。4月29日、『ニューヨーク・タイムズ』は、写真ではサイラスが裸であるように見えるが、実際にはシーツに包まれておりトップレスではなかったと報じた[15]。ディズニーの広報担当者は「雑誌を売るために15歳の少女を意図的に操って作成された状況」と表現した[15]。写真のインターネット上での流通とそれに伴うメディアの注目を受けて、マイリー・サイラスは4月27日に次の謝罪声明を発表した。「私は『芸術的』であるはずの写真撮影に参加したのですが、写真を見て、記事を読んだ今、とても恥ずかしい気持ちになりました。こんなことになるなんて意図していなかったし、深く気にかけてくれているファンの皆さんに謝罪します。[15]

2013年、コンデナスト・エンターテインメント英語版は、ディスカバリー・コミュニケーションズ傘下のケーブルテレビチャンネル「インベスティゲーション・ディスカバリー英語版」と契約を結び、『ヴァニティ・フェア』に掲載されたストーリーを基にしたドキュメンタリーシリーズ「Vanity Fair Confidential」を制作した[16]

2014年1月、『ヴァニティ・フェア』2月号に掲載された、映画『それでも夜は明ける』の役で知られる女優ルピタ・ニョンゴの写真の見た目を変えたという疑惑で「炎上」した。同誌がツイートに添付した写真に対し、ファンが顔の色が変えられていると非難したことから炎上が始まった。ただし、意図的に肌を明るくしたのではなく、単に明るい照明のせいだと考える人もいる。ニョンゴ自身はこの写真に満足しており、自分自身に何の害もないとして、『ヴァニティ・フェア』や写真家の責任を問わなかった。この事件の少し前、1936年に旧『ヴァニティ・フェア』を買収した『ヴォーグ』誌が、女優レナ・ダナムの写真を改変したとして告発されていた。ダナムは、改変された写真は不快なものだと考えた[17][18]

『ヴァニティ・フェア』は2016年6月、ビジネス、政治、テクノロジーについてのニュースサイト「ザ・ハイブ」(The Hive)を立ち上げた。

2017年11月、2017年12月11日付でカーターが編集長を退任し、後任として『ニューヨーク・タイムズ』の書籍部門の編集長を務めていたラディカ・ジョーンズ英語版が編集長に就任することが発表された[19][20]

国際版

現在、イギリス(1991年創刊)[21]イタリア(2003年創刊)[22][21][23]スペイン(2008年創刊)[21]フランス(2013年創刊)[24]メキシコ(2015年創刊)の5つの国際版が発行されており、イタリア版は週刊誌として発行されている。

このほか、2007年2月にドイツ版が5千万ユーロを投じて創刊されたが、発行部数が週50万部から20万部以下に激減した後、2009年に廃刊となった[25]

脚注

  1. ^ Circulation averages for the six months ended: 12/31/2019”. Alliance for Audited Media (December 31, 2019). July 30, 2020閲覧。
  2. ^ 外務省が駐米大使に抗議指令を打電『東京朝日新聞』(昭和10年8月4日)『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p28 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 問題の雑誌、ついに廃刊『東京日日新聞』(昭和11年1月8日夕刊)『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p29
  4. ^ “Vanity Fair Merged With Vogue by Nast”, The New York Times: p. 21, (December 30, 1935), オリジナルのFebruary 22, 2014時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20140222201003/http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=FB0E16F935551B728DDDA90B94DA415B858FF1D3 .
  5. ^ “Conde Nast Publications To Combine Two Magazines”, The Wall Street Journal: p. 2, (December 31, 1935) 
  6. ^ “Conde Nast to Revive Vanity Fair Magazine”, Wall Street Journal: p. 16, (July 1, 1981) .
  7. ^ Salmans, Sandra (February 6, 1983), “Courting the Elite at Condé Nast”, New York Times: p. F1, オリジナルのAugust 4, 2017時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20170804221605/http://www.nytimes.com/1983/02/06/business/courting-the-elite-at-conde-nast.html 
  8. ^ Suplee, Curt (April 27, 1983), “Vanity Fair Editor Fired”, Washington Post: p. B4 .
  9. ^ “1991 Vanity Fair cover featuring pregnant Demi Moore named 1 of most influential images of all time” (英語). Women in the World in Association with The New York Times - WITW. (November 18, 2016). オリジナルのDecember 1, 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171201043746/http://nytlive.nytimes.com/womenintheworld/2016/11/18/1991-vanity-fair-cover-featuring-pregnant-demi-moore-named-1-of-most-influential-images-of-all-time/ November 22, 2017閲覧。 
  10. ^ SAJA Vanity Fair article, June 9, 2000 Archived January 16, 2006, at the Wayback Machine.
  11. ^ Weide, Robert B. (October 3, 2008), How to Lose Friends & Alienate People, Simon Pegg, Kirsten Dunst, Megan Fox, オリジナルのJanuary 3, 2018時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20180103160055/http://www.imdb.com/title/tt0455538/ January 18, 2018閲覧。 
  12. ^ “Bridges agrees to "Alienate People"”. Reuters. (May 18, 2017). オリジナルのJanuary 19, 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180119120229/https://www.reuters.com/article/us-bridges/bridges-agrees-to-alienate-people-idUSN1736725620070518 January 18, 2018閲覧。 
  13. ^ Miley Cyrus topless controversy”. news.com.au/dailytelegraph/ (April 28, 2008). May 1, 2008時点のオリジナルよりアーカイブApril 27, 2008閲覧。
  14. ^ Stephen M. Silverman (April 27, 2008). “Miley Cyrus: I'm Sorry for Photos”. people.com. May 13, 2008時点のオリジナルよりアーカイブApril 27, 2008閲覧。
  15. ^ a b c Brook Barnes (April 28, 2008). “A Topless Photo Threatens a Major Disney Franchise”. nytimes.com. オリジナルのMay 12, 2011時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110512221952/http://www.nytimes.com/2008/04/28/business/media/28hannah.html April 29, 2008閲覧。 
  16. ^ William Launder (July 29, 2013), Condé Nast Pushes Into TV Business Archived February 3, 2014, at the Wayback Machine. Wall Street Journal.
  17. ^ Did Vanity Fair Lighten Lupita Nyong'o's Skin Color? Check Out the Controversial Photo”. E!Online. February 20, 2015閲覧。
  18. ^ Lena Dunham Twitter”. Twitter. February 13, 2015時点のオリジナルよりアーカイブFebruary 20, 2015閲覧。
  19. ^ Ember, Sydney (November 13, 2017). “Radhika Jones, Vanity Fair's Surprise Choice, Is Ready to Go”. The New York Times. オリジナルのNovember 14, 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171114023405/https://www.nytimes.com/2017/11/13/business/radhika-jones-vanity-fair.html 
  20. ^ Wattles, Tom Kludt and Jackie. “New York Times books editor to head Vanity Fair”. CNNMoney. オリジナルのNovember 14, 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171114215115/http://money.cnn.com/2017/11/13/media/vanity-fair-editor-radhika-jones-graydon-carter/index.html November 22, 2017閲覧。 
  21. ^ a b c Eric Pfaner (September 24, 2012). “A Vanity Fair for France Puts Timing in Question”. The New York Times (Paris). オリジナルのNovember 2, 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141102174732/http://www.nytimes.com/2012/09/24/business/media/looking-behind-the-french-vanity-fair-announcement.html?pagewanted=all&_r=0 November 2, 2014閲覧。 
  22. ^ https://portal.issn.org/resource/ISSN/1723-6673
  23. ^ Stefania Medetti (December 12, 2003). “Italy receives the first weekly edition of Vanity Fair”. Campaign. http://www.campaignlive.co.uk/news/198172/ April 15, 2015閲覧。 
  24. ^ Christina Passariello and Quentin Marion (June 25, 2013), Vanity Fair French Edition Launches Wednesday Archived February 3, 2014, at the Wayback Machine. Wall Street Journal.
  25. ^ Caitlin Fitzsimmons (February 20, 2009), Condé Nast closes German Vanity Fair Archived September 21, 2016, at the Wayback Machine. The Guardian.

外部リンク


ヴァニティ・フェア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 07:59 UTC 版)

カルロ・ペリグリーニ」の記事における「ヴァニティ・フェア」の解説

ペリグリーニがヴァニティ・フェアのオーナーであるトーマス・ボウルズとどのように出会ったのかについては記録のこっていない。しかし彼はいつの間にボウルズ仕事始め、ヴァニティ・フェアで最初風刺画家となった。もともと作品には「Singe」と署名していたが、後に「Apeと書ようになった。ヴァニティ・フェアでのペリグリーニの仕事評価高く1869年1月から20年以上にわたってその作品掲載されるなど大きな影響力を持つ作家となった1869年ベンジャミン・ディズレーリ風刺画はカラー・リトグラフで掲載されるなど、その絶大な人気うかがわれた。この雑誌40年以上刊行続け2000人以上の肖像掲載されることになったのはカルロ・ペリグリーニ描いた風刺画成功おさめたことによるとされる。ペリグリーニはボウルズ不仲となり、この雑誌の仕事辞めレスリー・ウォード後任となり、ウォードのほうが長く仕事をし、知名度上まわることになるが、コレクターにとっては「アープ」のほうが芸術性からも技術の面からも優れると考えられている。 彼は雑誌向けに風刺画を描く仕事とは別に肖像画家としても名をあげようとしたが、この挑戦はあまり成功したとはいえなかった。1870年代にはロンドンドガ知り合っており、1876年77年彼の肖像画描いている。この絵には「à vous/Pellegrini」(あなたに/ペリグリーニより)という署名がはいった。そのお返しに、ドガはペリグリーニの肖像画描き同じよう署名した画像右上〕。 ペリグリーニはロンドンのビーフステーキ・クラブ(英語版)のメンバーであった。彼はこのクラブ通じてホイッスラー出会い自身の作品多大な影響受けた実際、ペリグリーニはホイッスラー風の肖像画描こうとさえしていた。彼は1874年から1888年までアーツ・クラブ(英語版)のメンバーでもあった。

※この「ヴァニティ・フェア」の解説は、「カルロ・ペリグリーニ」の解説の一部です。
「ヴァニティ・フェア」を含む「カルロ・ペリグリーニ」の記事については、「カルロ・ペリグリーニ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ヴァニティフェア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴァニティフェア」の関連用語

ヴァニティフェアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴァニティフェアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴァニティ・フェア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカルロ・ペリグリーニ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS