ワーグナー以前の「トリスタン」作品とは? わかりやすく解説

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ワーグナー以前の「トリスタン」作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:54 UTC 版)

トリスタンとイゾルデ (楽劇)」の記事における「ワーグナー以前の「トリスタン」作品」の解説

トリスタンとイゾルデ物語は、10世紀末にケルト伝説から生まれた考えられている。その集大成ともいえるのが、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク叙事詩であり、1210年ごろの成立と見られる。このほかダンテ『神曲』地獄篇第5歌)にトリスタンとイゾルデ登場しニュルンベルクの靴匠詩人ハンス・ザックス1494年-1576年)にも『トリストラン殿と美しき王妃イゾルデ』と題する戯曲があるなど、トリスタン題材中世において、すでに知られていた。 19世紀に入ると、アウグスト・フォン・プラーテン(1796年-1835年)がトリスタン劇を構想した。これは完成しなかったが、プラーテンは「トリスタン」と題するソネット1834年)を残しており、「美しきものをその眼で視た人はすでに死の手委ねられてあり……」という冒頭の2行は、ワーグナー楽劇思想内容近くワーグナーはこの詩を知っていたと考えられるオペラ作品としては、「トリスタンとイゾルデ」にまつわる媚薬モチーフとなったガエターノ・ドニゼッティ作曲歌劇愛の妙薬』(1832年)が1841年ドレスデン上演されており、その後繰り返し上演されたこの作品を、1843年からドレスデン宮廷楽長となったワーグナー指揮した推定されている。1842年ワーグナー知り合った作家ユリウス・モーゼン(1803年-1867年)にも『マルケ王イゾルデ』の詩があり、この作品には「宿命媚薬」のアイデア含まれていた。 1846年にはロベルト・シューマンが「トリスタンとイゾルデ」のオペラ化構想したが、完成しなかった。その台本詩人ロベルト・ライニックによる5幕ものであったこのころワーグナーシューマン交流があり、オペラ化構想聞き知った可能性がある。シューマン弟子ワーグナーとも親しかったカール・リッター1830年-1891年)もトリスタンのための戯曲紛失)を書いており、作曲契機のひとつとなったと見られるワーグナー自伝『わが生涯』で、「リッターはこの物語活気あふれた場面重視しているが、私の方は物語の深い悲劇性にたちまち引きつけられた」と述べている。

※この「ワーグナー以前の「トリスタン」作品」の解説は、「トリスタンとイゾルデ (楽劇)」の解説の一部です。
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