ワーグナー以前の「トリスタン」作品
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「トリスタンとイゾルデ (楽劇)」の記事における「ワーグナー以前の「トリスタン」作品」の解説
トリスタンとイゾルデの物語は、10世紀末にケルト伝説から生まれたと考えられている。その集大成ともいえるのが、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの叙事詩であり、1210年ごろの成立と見られる。このほかダンテの『神曲』地獄篇(第5歌)にトリスタンとイゾルデが登場し、ニュルンベルクの靴匠詩人ハンス・ザックス(1494年-1576年)にも『トリストラン殿と美しき王妃イゾルデ』と題する戯曲があるなど、トリスタンの題材は中世において、すでに知られていた。 19世紀に入ると、アウグスト・フォン・プラーテン(1796年-1835年)がトリスタン劇を構想した。これは完成しなかったが、プラーテンは「トリスタン」と題するソネット(1834年)を残しており、「美しきものをその眼で視た人はすでに死の手に委ねられてあり……」という冒頭の2行は、ワーグナーの楽劇の思想内容に近く、ワーグナーはこの詩を知っていたと考えられる。 オペラ作品としては、「トリスタンとイゾルデ」にまつわる媚薬がモチーフとなったガエターノ・ドニゼッティ作曲の歌劇『愛の妙薬』(1832年)が1841年にドレスデンで上演されており、その後も繰り返し上演されたこの作品を、1843年からドレスデンの宮廷楽長となったワーグナーは指揮したと推定されている。1842年にワーグナーが知り合った作家ユリウス・モーゼン(1803年-1867年)にも『マルケ王とイゾルデ』の詩があり、この作品には「宿命の媚薬」のアイデアが含まれていた。 1846年にはロベルト・シューマンが「トリスタンとイゾルデ」のオペラ化を構想したが、完成しなかった。その台本は詩人ロベルト・ライニックによる5幕ものであった。このころワーグナーはシューマンと交流があり、オペラ化の構想を聞き知った可能性がある。シューマンの弟子でワーグナーとも親しかったカール・リッター(1830年-1891年)もトリスタンのための戯曲(紛失)を書いており、作曲の契機のひとつとなったと見られる。ワーグナーは自伝『わが生涯』で、「リッターはこの物語の活気にあふれた場面を重視しているが、私の方は物語の深い悲劇性にたちまち引きつけられた」と述べている。
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