ワーグナーの対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 04:46 UTC 版)
「交響曲第3番 (ブルックナー)」の記事における「ワーグナーの対応」の解説
1873年8月31日、ブルックナーはこの作品と旧作の第2交響曲の楽譜を持ってバイロイトのワーグナー宅を訪問している。風采の上がらないブルックナーを見て、ワーグナー夫人のコジマは、物乞いと勘違いしたという。ワーグナーはバイロイト祝祭劇場建設のプロジェクトに忙しく、献呈に興味を示さずほとんど門前払いの形でブルックナーを帰らせたが、後で楽譜を見て感動し、劇場建築現場にたたずんでいたブルックナーを連れ戻して抱きしめ、「私はベートーヴェンに到達する者をただ一人知っている。ブルックナー君だよ。」と称賛した。 献呈を快諾された晩、ワーグナー夫妻とブルックナーは2時間半程歓談したという記録が遺されている。その際、ワーグナーがしきりにビールを勧めたため、ブルックナーはすっかり酔ってしまい、翌朝ブルックナーは、ワーグナーがどちらの交響曲の献呈を受け入れてくれたのかすっかり忘れていた。同席していた彫刻家キースに尋ねるとニ短調の交響曲についての話でトランペットが話題になっていたという。そこで、念のためにとホテルに備付けられた便箋に、「トランペットで主題が始まるニ短調交響曲(の方でしょうか)。A・ブルックナー Symfonie in D moll, wo die Trompette das Thema beginnt. A. Bruckner mp.」と書いてワーグナーに送ったところ、同じ紙に書き添えて「そうです! そうです! 敬具。リヒャルト・ワーグナー Ja! Ja! Herzlichen Gruss! Richard Wagner」との返事があった。 この時ブルックナーが使用した便箋によると、宿泊していたホテルは「金の碇 Zum goldenen Anker Bayreuth」というもので、2020年現在も4つ星ホテルとして営業している。ワーグナーの家であるヴァーンフリート荘とも程近く、逆にバイロイト祝祭劇場へは少し距離がある。
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