ワーグナーによる批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 04:03 UTC 版)
「ジャコモ・マイアベーア」の記事における「ワーグナーによる批判」の解説
1850年ワーグナーは変名で反ユダヤ主義思想に基づく『音楽におけるユダヤ性』を発表し、名指しはしないまでも完膚なきまでにマイアベーアを叩いていることは有名だろう。ワーグナーのこの考え方は後の批評家だけではなく、ナチス政権に引き継がれることになってしまった。第2次世界大戦終結まで、この政権の支配地域ではユダヤ人の音楽は退廃音楽として弾圧されたため、マイアベーアのオペラも上演されなかった。二度の世界大戦による損失も大規模なグランド・オペラの上演にとってもマイナス要因になったと言えるかもしれない。レイノアは「晩年になって、マイアベーアがワーグナーを援助し損なったことが、ワーグナーの心の中にわだかまりとなって残り、さらにマイアベーアがユダヤ人であることが、ワグネリアンにとっては許し難いことであったのだ」と述べている。
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