ワーグナーの自己投影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:27 UTC 版)
「ジークフリート (楽劇)」の記事における「ワーグナーの自己投影」の解説
ワーグナー作品のいくつかの登場人物にはワーグナー自身の投影が色濃く認められるが、なかでもジークフリートはワーグナーにとって特別で最愛といえる存在である。ジークフリートには前作『ヴァルキューレ』のジークムントや後のパルジファルとの共通点が見られ、他方、ジークフリートに敵対するアルベリヒやファーフナーには、ワーグナーの芸術の進展を阻もうとする「俗物」を暗示させているともいわれる。第1幕第3場、鍛冶の場面で、ジークフリートがミーメに向かって言い放つ「弟子が師匠のいいなりでは、その師匠を超えられるはずがない」は、ワーグナー自身の信条であるとされる。また、12年の中断を経て本作の作曲を再開、第3幕作曲中の1869年6月、コジマとの間に生まれた息子に、ワーグナーはジークフリートと名付けている。 ジークフリートは養父ミーメに育てられ、作者のワーグナー自身もまた養父に育てられている。ニーベルング族のアルベリヒやミーメは、ワーグナーが嫌悪したユダヤ人にしばしばなぞらえられるが、ワーグナーの養父カイヤーにはユダヤ系の疑いがあり、ワーグナーはこの養父が実父かもしれないと悩んでいた。すなわち、ミーメは作曲者自身の「影」であり、ジークフリートのミーメへの憎悪は一種の自己憎悪ともいえる。このように、ジークフリートとミーメの双方がなんらかの意味で作者の分身ということができる。
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