ワーグナー作品の出版
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「ショット・ミュージック」の記事における「ワーグナー作品の出版」の解説
創業以来数十年にわたり、ショット社は当時人気を博していたフランスの伝統に傾倒していた。目録にアドルフ・アダン、フランソワ・オーベールやガエターノ・ドニゼッティ、イグナツ・プライエル、ジョアキーノ・ロッシーニといった名前が並んでいたのはそのためである。フランツ・リスト、ペーター・コルネリウスの作品を得て、ショット社はドイツ音楽へより深い関心を示すようになっていく。ベルンハルト・ショットの孫であるフランツ・ショット(1811年-1874年)は1859年にリヒャルト・ワーグナーと排他的協力関係を獲得、これにより『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、『ニーベルングの指環』全曲、『パルジファル』を出版することが可能となった。ワーグナーとの提携額は社にとって極めて高額であったことがわかっている。1862年10月21日にフランツ・ショットがワーグナーへ宛てた書簡には次のようにある。「それにしても、貴方の要求を満たすことができる音楽出版社は存在しないでしょう。これが可能なのは非常に裕福な銀行家か、もしくは何百万を手にした王子か(略)。」事実、ワーグナーは若きバイエルン王ルートヴィヒ2世という気前のいい王子を見つけ出している。
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