ロアノーク川での戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/13 14:42 UTC 版)
「アルベマール (装甲艦)」の記事における「ロアノーク川での戦歴」の解説
1864年4月、就役したアルベマールはジェームズ・クック(James W. Cooke)大佐の指揮の下、ノースカロライナ州プリマス(Plymouth)へ向かってロアノーク川を下った。与えられた任務は、ロアノーク川の北軍の船舶を掃討し、ロバート・ホーク(Robert Hoke)少将の旅団によるプリマスの要塞への攻撃を可能にすることであった。アルベマールは街の上流約3マイルの地点に碇を下ろし、パイロットのジョン・ロック(John Lock)は2人の水兵と共に小型ボートに乗って水深を測った。北軍はスローフェア・ギャップ(Thoroughfare Gapに)阻害物を沈めていたが、そこから水面までは10フィートの余裕があった。クック大佐は直ちに出動を命じ、水路の中央を通って、無事に阻害物を通過した。ウォーレン・ネックとボイルズ・ミルの北軍要塞からの射撃は、アルベマールの装甲によって跳ね返された。 しかしながら、USS マイアミ(USS Miami)とUSS サウスフィールド(USS Southfield)の2隻の外輪砲艦が、スパー(円材)と鎖でお互いをつなぎ、アルベマールの両側を通過することによって絡め捕ることを試みた。この攻撃を回避するため、クック大佐は右舷に舵を切り、川の南岸に危険なほど接近し、サウスフィールドの外側に逃れた。その後直ちに方向を変え、サウスフィールドに衝角攻撃を行った。アルベマールの衝角はサウスフィールドを捕らえ、しばらくしてサウスフィールドは回転するように沈没した。これにより、アルベマールは衝角を引き抜くことができた。 アルベマールがサウスフィールドへの衝角攻撃で動けなくなっている間に、マイアミが至近距離から榴弾で攻撃してきたが、アルベマールの傾斜装甲はこれを跳ね返し、砲弾はマイアミの艦上で炸裂した。この爆発で艦長のチャールズ・フラッサー(Charles W. Flusser)大佐は戦死した。マイアミの乗員はアルベマールへの接舷してこれを捕獲しようとしたが、アルベマールからマスケット銃による反撃を受けて失敗した。その後マイアミはアルベマール湾に脱出した。 ここにロアノーク川から北軍の艦艇は一掃され、アルベマールからの支援砲撃を得たホーク少将はプリマスへの攻撃を開始し、プリマスと近隣の要塞を陥とした。 5月5日、アルベマールと鹵獲したCSS ボムシェル(CSS Bombshell)は、兵士を乗せたCSS コットンプラント(CSS Cotton Plant)を護衛してロアノーク川を下っていた。そこで4隻の北軍軍艦、マイアミ、USS マタベセット(USS Mattabesett)、USS ササカス(USS Sassacus)及びUSS ワイアルージング(USS Wyalusing)、と遭遇した。4隻合計で、大砲の数は60門を超えていた。最初に発砲したのはアルベマールで、マタベセットの2門の100ポンドパロット砲の操作員6人に傷を負わせた。続いて、マタベセットに衝角攻撃を試みたが、これはかわされた。後続していたササカスは、舷側の 9インチ (229 mm) 及び100ポンド砲で攻撃ししてきたが、アルベマールはこれを跳ね返した。しかしながら、装甲を有しないボムシェルはササカスの砲弾で打ち抜かれ、北軍に降伏・鹵獲された。 ササカスのフランシス・ロー(Francis Asbury Roe)少佐は、400ヤード (370 m)の距離にアルベマールを認め、これに対して衝角攻撃を行うことを決めた。ササカスは全速でアルベマールの側面に直角に衝突した。ササカスの艦首の木材部分は粉々になり、ブロンズ製の衝角もねじり取られてしまったが、両艦ともに動けなくなってしまった。ササカスの船体はアルベマールのブルック砲に触れそうな位置にあったため、アルベマールの乗員は至近距離から2発の砲弾を発射し、一弾がササカスのボイラーを破壊した。、蒸気が船体中に吹き荒れたが、なんとかアルベマールから離れて大砲の射程外に出ることができた。マイアミは最初外装水雷を用いてアルベマールのスクリューか舵を破壊しようとしたが、いずれも失敗した。この戦いで500発以上がアルベマールに対して発射され、煙突と他の部分も損害を与えたが、ロアヌーク川を勝利者として航行し、翌朝にはプリマスに到着した。
※この「ロアノーク川での戦歴」の解説は、「アルベマール (装甲艦)」の解説の一部です。
「ロアノーク川での戦歴」を含む「アルベマール (装甲艦)」の記事については、「アルベマール (装甲艦)」の概要を参照ください。
- ロアノーク川での戦歴のページへのリンク