ラヴォアジエの功罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:35 UTC 版)
ラヴォアジエは、厳密な物質量確認を伴う酸化の実験を通じて、燃焼の実態を正しく説明することに貢献した。彼はフロギストン説を否定し、プリーストリーらが発見したガスが元素のひとつであると立証するため、1774年以来行われた実験の追試に乗り出した。 ラヴォアジエは、スズと空気を密閉した容器を加熱しても全体の重さに変化がないことを観測し、開封すると外気が流れ込むことから空気の一部が減少していると確認し、またスズが重くなっていることも計測した。そして、この流入空気質量とスズの質量増分が同じであることを確認した。1777年、彼はこの実験結果などをまとめた書籍『Sur la combustion en général』を発表した。この中でラヴォアジエは、空気は燃焼と呼吸に深く関わるvital airと、これらに関与しないazote(古希: ζωτον、「生気のない」の意)」の2種類のガスが混合したものと証明した。azoteはのちに窒素とされた。 1777年、ラヴォアジエは「vital air」に、古代ギリシア語ὀξύς(oxys、味覚の酸味を由来とする「鋭い」の意)と -γενής(-genēs、生み出す者を由来とする「製作者」の意)を合成したフランス語「oxygène」という命名を施した。これは、彼が酸素こそすべての酸性の源泉だという誤解を持っていたためこれらの単語が選択されたものだった。のちに、酸性の根本となる元素は水素であることが判明したが、そのころには単語がすでに定着していたため変更はできなかった。 イギリス科学界は、同国人のプリーストリーが分離に成功したガスにこの名称を用いることに反対だったが、1791年に詩人でもあるエラズマス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父)が出版した有名な書籍『植物の園』(The Botanic Garden)の中で、このガスを称賛する詩『oxygen』を載せたため、すでに一般に広まっていたこともあり、「oxygen」の単語は英語に組み込まれてしまった。
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