ラヴェンナ総督領
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751年当時、ランゴバルド王国はアイストゥルフの治世の下、ラヴェンナ総督領を支配していた。ラヴェンナ総督領はビザンツ帝国のイタリア統治の中心であり、領内を管轄する総主教はローマ教皇からは独立しビザンツ皇帝の支配下にあった。 総督領にはコルシカ島がふくまれる。紀元前534年にエトルリア人がギリシア人を破り、コルシカを共和政ローマ建国の礎とした。帝政ローマの末期、4世紀に民族移動時代を先駆け、西ゴート族がモエシアから西ゴート王国までやってきた。建国の過程でアラリック1世が402年、西ローマ帝国の宮廷をミラノからラヴェンナへと移転させた。後にラヴェンナは東ゴート王国の首都になった。553年に東ゴートが滅び、領土がラヴェンナごと東ローマ帝国のものとなった。しかし、この地にランゴバルド王国が興ってしまった。
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