帝国本土の争奪とは? わかりやすく解説

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帝国本土の争奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:13 UTC 版)

イタリア王」の記事における「帝国本土の争奪」の解説

詳細は「イタリア本土 (古代ローマ)」、「東ゴート王国」、および「ラヴェンナ総督領」を参照 ユリウス・ネポス帝、あるいはロムルス・アウグストゥルス失脚まで、イタリア半島部及び大陸部古代ローマ本土として統治されていた。王政期にはローマ王rex)、共和政期には執政官独裁官帝政期にはローマ皇帝君主として君臨し帝政末期皇帝二分されると「西の皇帝」(西ローマ皇帝)による支配が行われた。 476年ロムルス・アウグストゥルス退位、および480年ユリウス・ネポス帝の暗殺によって西ローマ皇帝称号は、元老院通じて東ローマ皇帝ゼノンへと返還された。ゼノン帝は帝位返還見返りとして、両者追放暗殺したヘルール族族長オドアケルに「ドゥクス・イタリアエ」(dux Italiae、イタリア領主)の称号と、かつての帝国本土支配する権利与えた。従ってオドアケル最初の「イタリア王」(rex Italiae)であると考え向きもあるが、オドアケルrex Italiae称号を公式に使用したかについては議論が残る。 493年唯一のローマ皇帝となったゼノン帝はオドアケル討伐命令東ゴート族の王テオドリック命令したテオドリックオドアケル軍を滅ぼすと新たにイタリア支配者として承認され、また明確に自身rex Italiae であると宣言した一方で東ゴート族数的に少数であり、周囲反感恐れて国王」(rex)の称号のみを使用する場合もあった(東ゴート王国)。テオドリック支配オドアケルよりは長く続いたが、552年ベリサリウス率いローマ軍の大遠征によって攻め滅ぼされた。再びイタリアローマ皇帝領域ラヴェンナ総督領となったが、この時代は短い間しか機能しなかった。

※この「帝国本土の争奪」の解説は、「イタリア王」の解説の一部です。
「帝国本土の争奪」を含む「イタリア王」の記事については、「イタリア王」の概要を参照ください。

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