東ゴート王国の首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:37 UTC 版)
476年、西ローマ帝国が滅亡し、東ローマ皇帝ゼノンが東ゴート王テオドリックをイタリア半島再獲得のため送り込んだ。ヴェローナの戦い後、オドアケルはラヴェンナへ退却し、リミニが攻略されラヴェンナの補給が断たれるまでテオドリックに3年間包囲された(ラヴェンナ包囲戦)。ラヴェンナは東ゴート王国の首都となった。 493年の後、テオドリックは世俗と信仰の建物(サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂近くの失われた宮殿を含む)のためローマ人建築家を雇い入れた。テオドリック宮殿は付属建築物であった。テオドリックと家臣たちはアリウス派であったが、ラテン人らと平和に共存していた。526年にテオドリックは死に、後を継いだ娘アマラスンタは535年に殺害された。
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