ラヴェル版
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1922年、フランスのラヴェルが、指揮者クーセヴィツキーの依頼で『展覧会の絵』を管弦楽へと編曲した。この編曲版はクーセヴィツキーの率いるオーケストラによって、同年10月19日(初演)と10月26日にパリのオペラ座で演奏され、これをきっかけに一挙にムソルグスキーの『展覧会の絵』は世界的に有名になった。 展覧会の絵 プロムナード スキッドモア大学管弦楽団による演奏 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 ラヴェルがこの仕事を引き受けた理由としては、報酬もさることながら当時フランスの音楽家(サン=サーンスやドビュッシー、ラヴェルなど)にムソルグスキーの和音を多用する様式が評価されつつあったこと、ムソルグスキーのピアノ曲は管弦楽曲を作るための習作のような作りであったことなどが挙げられている。 ラヴェルは編曲に当たり、友人のカルヴォコレッシに譜面の手配を依頼した。その手紙(1922年2月3日付)には「ムソルグスキーの自筆譜(の入手)を期待している。何とかして入手する方法はないだろうか。または入手可能な人物を知らないか」と記しており、ラヴェルが当時出版されていたムソルグスキーの楽譜には、リムスキー=コルサコフによる改変があることを知っており、自身はムソルグスキーのオリジナルから編曲をする意図であったことが判っているが、カルヴォコレッシは自筆譜を入手できなかったようで、最終的にはすでに出版されていたリムスキー=コルサコフ版に基づき、1922年の3月からまず「キエフの大門」に着手して5月1日に完成、続けて残りを初秋頃までかけて編曲を行った。その際、ラヴェルの自作編曲にもみられるように、ダイナミクスの問題による小節の追加など一部を補筆している。 その編曲は特に冒頭のトランペットのファンファーレ的な「プロムナード」に象徴されるように、ラヴェルの異名である「オーケストラの魔術師」どおりの華麗で色彩的なもので、原曲のロシア的な要素を重視するよりもオーケストラ作品としての華やかな色彩を与えることを企図し、そして成功している。ラヴェルの編曲は粗野な趣の『展覧会の絵』に新しい生命を与えることに成功したと言ってよい。 なお、楽譜は1929年にロシア音楽出版から出版され、現在は同社の業務を引き継いだブージー・アンド・ホークスなどで刊行されている。 編成表木管金管打弦Fl. 3(2, 3番はFl.picc.持ち替え) Hr. 4 Timp. ● Vn.1 ● Ob. 3(3番はC.I.持ち替え) Trp. 3 他 Ptti., Tamb., Gr.C., Tam-T., Glsp., Xylo., Trg., Crec., Fouet, Camp. Vn.2 ● Cl. 2, Cl.b.1 Trb. 3 Va. ● Fg. 2, Cfg.1 Tub. 1 Vc. ● 他 Sax.a.1 他 Cb. ● その他 Cel., Arpa 2
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