ラヴェル弾きとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 14:23 UTC 版)
「ヴラド・ペルルミュテール」の記事における「ラヴェル弾きとして」の解説
ペルルミュテールがラヴェル弾きとして果たした役割は非常に大きい。それはやはり、作曲者ラヴェル本人から曲についての様々な作曲者の意図や曲についての解釈の仕方を完全に体得していることが一番の理由である。彼自身もラヴェルから教えてもらった、作品に込められた意図や表現について、インタビューに答えて普及に努め(オーケストラ編曲されていない『夜のガスパール』で、ラヴェルはオーケストラの楽器の響きを想定していたことなども語られている)、自ら著作『ラヴェルによるラヴェル』を刊行している。 ラヴェルが1937年に死去した後、日本では著作権の関係で50年および戦時加算の10年で合計60年間、つまり1937年から約60年後の1997年頃までラヴェル作品の楽譜は非常に高価であった(一例として1991年当時の日本円価格で輸入版の『水の戯れ』1曲の楽譜が2800円)。著作権が消滅したとき、楽譜の編集者たちは曲についての細かい確認作業をする際、ペルルミュテールの演奏を参考にした。音楽之友社から出版されているラヴェルのピアノ曲集は、ペルルミュテール自身が校訂したものを採用している。それほど、彼の演奏・解釈自体が作曲者の意図を忠実に表現しているという信用度が非常に高いのである。
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