ランプライト計画の発足とは? わかりやすく解説

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ランプライト計画の発足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:20 UTC 版)

海軍戦術情報システム」の記事における「ランプライト計画の発足」の解説

1954年には、リンカーン研究所に対してSAGEシステムコンセプト海軍分野応用するためのランプライト計画発注されマクナリー少佐はその海軍担当官として着任した。コーンフィールド計画踏まえてマクナリー少佐は、専用設計の艦を中枢とするのではなくシステム搭載したであればいつでも適宜に指揮艦としての任を引き継げるようにすることを構想した。彼は構想の概要15ページレポートにまとめ上げ、「海軍戦術情報システム」という名称を与えた。これをもとに、1955年夏には50ページ運用技術要求仕様作成された。検討経て1956年4月には海軍作戦部長府による承認を受けるとともに艦船局 (BuShips) が担当部局指定され電子機器設計開発部にNTDS部門設置されて、マクナリー中佐引き続き計画調整官として担当することになった1955年12月決定基づいてコンピュータおよび周辺機器開発UNIVAC発注され1958年3月にはAN/USQ-17(英語版コンピュータ初号機NEL試験場設置された。1959年4月にはNELのASDEC(Applied Systems Developent and Evaluation Center)において技術試験用機材設置完了し陸上試験開始された。空母オリスカニー」およびミサイル・フリゲート(DLG)「キング」、「マハン」の3隻が試験艦となり、1961年10月より洋上での試験開始された。これ以前にはデジタル化システムアメリカ海軍艦船搭載されことはなく、艤装からして新しい挑戦となった従来電子機器とは全く異な装備であるために維持管理困難さがあり、またソフトウェア複雑さもあってプログラムエラー頻発したが、機材そのもの信頼性高かった1962年4月1日までにOPTEVFORによる運用評価終了したが、(ほとんどがプログラム起因するエラーだったとはいっても)システム装備化に重大な疑問提起するような問題指摘されていた。しかしOPTEVFOR司令官であったチャールズ・バーギン少将は、システム上手く動作した場合性能の高さを評価し、またプログラムエラーハードウェア欠陥よりも遥かに安価に修正可能であることを指摘した。これらの評価経て1963年3月海軍作戦部長CNO)はNTDS艦隊配備承認した

※この「ランプライト計画の発足」の解説は、「海軍戦術情報システム」の解説の一部です。
「ランプライト計画の発足」を含む「海軍戦術情報システム」の記事については、「海軍戦術情報システム」の概要を参照ください。

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