ランプライト計画の発足
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「海軍戦術情報システム」の記事における「ランプライト計画の発足」の解説
1954年には、リンカーン研究所に対して、SAGEシステムのコンセプトを海軍分野に応用するためのランプライト計画が発注され、マクナリー少佐はその海軍側担当官として着任した。コーンフィールド計画を踏まえて、マクナリー少佐は、専用設計の艦を中枢とするのではなく、システムを搭載した艦であればいつでも適宜に指揮艦としての任を引き継げるようにすることを構想した。彼は構想の概要を15ページのレポートにまとめ上げ、「海軍戦術情報システム」という名称を与えた。これをもとに、1955年夏には50ページの運用・技術要求仕様が作成された。検討を経て、1956年4月には海軍作戦部長府による承認を受けるとともに艦船局 (BuShips) が担当部局に指定され、電子機器設計開発部にNTDS部門が設置されて、マクナリー中佐が引き続き計画調整官として担当することになった。 1955年12月の決定に基づいてコンピュータおよび周辺機器の開発はUNIVACに発注され、1958年3月にはAN/USQ-17(英語版)コンピュータの初号機がNELの試験場に設置された。1959年4月にはNELのASDEC(Applied Systems Developent and Evaluation Center)において技術試験用機材の設置が完了し、陸上試験が開始された。空母「オリスカニー」およびミサイル・フリゲート(DLG)「キング」、「マハン」の3隻が試験艦となり、1961年10月より洋上での試験が開始された。これ以前にはデジタル化システムがアメリカ海軍艦船に搭載されたことはなく、艤装からして新しい挑戦となった。従来の電子機器とは全く異なる装備であるために維持管理の困難さがあり、またソフトウェアの複雑さもあってプログラムのエラーは頻発したが、機材そのものの信頼性は高かった。 1962年4月1日までにOPTEVFORによる運用評価は終了したが、(ほとんどがプログラムに起因するエラーだったとはいっても)システムの装備化に重大な疑問を提起するような問題も指摘されていた。しかしOPTEVFOR司令官であったチャールズ・バーギン少将は、システムが上手く動作した場合の性能の高さを評価し、またプログラムのエラーはハードウェアの欠陥よりも遥かに安価に修正可能であることを指摘した。これらの評価を経て、1963年3月、海軍作戦部長(CNO)はNTDSの艦隊配備を承認した。
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