ラストシーンでの事故
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「からっ風野郎」の記事における「ラストシーンでの事故」の解説
大詰めを迎えたラストシーンの撮影では、数寄屋橋の西銀座デパートの三愛洋品店前でロケが行われた。3月1日の深夜ロケでは、エスカレーターの上で殺し屋に撃たれる朝比奈役の三島が、仰向けに倒れたまま逆様の状態で死体となってエスカレーターで運ばれていくというクライマックスのシーンの撮影だった。 三島はいつものように20回以上もテストを繰り返しやらされていた。増村監督と三島の両者とも「鬼気迫る」ほどの熱心ぶりで、三島は疲労困憊の状態でもあった。しかし、当時としては斬新なこのシーンの脚本を三島はとても気に入っていた。 殺し屋役の神山繁は、「三島さんね、もっとパーンと派手に倒れなきゃ駄目だよ」とアドバイスした。三島はそれを素直に聞き入れ、本当に思いっきり倒れて足を踏み外してしまい、もろに右後頭部をエスカレーターの段の角に強打し大怪我をした。脳震盪を起こした三島はすぐさま虎の門病院に救急搬送されていった。びっくりした若尾文子は、「何かあったらどうしよう」と震えてしまった。 ゴツンも何も、とにかく仰向けに、ほんとに倒れちゃったんですから。三島さんは、それまでセットでどんなことがあろうと、さすがやっぱり大作家、笑ってらしたのね。けっして嫌な顔をしたり、増村さんと口論したり、なんてことはなかった。(中略)だけど、その倒れた瞬間、やっぱりご自分でしまったと思ったんでしょうね。顔色が変わったんですよ。それで初めてご自分のいままでの積もり積もったものが、パーッと出て。 — 若尾文子(白井佳夫との対談)「わが非凡なる監督たち」 事故の知らせを聞いて病院に駆けつけた三島の父・梓は、「君たち、息子の頭をどうしてくれるんだ!」と激怒して怒鳴っていた。藤井浩明が「三島さんすみませんでした」と謝ると、三島は脳に支障が出るか不安だったのか「ムスッと」黙ったままだったという。以前、三島にボクシング練習をやめた理由を聞いた時、「頭殴られたらね、頭がおかしくなっちゃうから。本業が出来なくなるから」と答えていたことを藤井は思い出した。翌日3月2日には増村監督も三島を見舞った。 三島はレントゲンで精密検査を受け、10日間ほど入院することになった。検査結果が出るまで不安だったが、不幸中の幸いで特に問題はなかった。事故を見ていた藤井は、「よくあれで済んだものです」と回想している。一般見舞いの面会禁止が解かれた3月8日には、以前からファンだったという女優の宮川和子が見舞にやって来た。その様子を取材した報知新聞に、「頭を打ったとたんに“映画的腫瘍”みたいなものがとれちゃったんだな。もう映画はコリゴリ」と三島は談話を寄せた。 友人のロイ・ジェームスが見舞に来ると三島は、「増村を殴ってきてくれよ、ロイ!」と駄々っ子のように喚いたという。そんな陽気な冗談半分の軽口も飛ばせるほど、三島は元気に回復していた。怪我が落ちつき3月10日に退院すると、三島は早速11日に撮影所に戻ってアフレコをし、12日から残りのシーンの撮影に再び入った。 3月14日の午後9時半から行われた夜間ロケのラストシーンの撮り直しの際には、永田雅一社長や脚本の菊島隆三も監視役で立ち会い、万全体制であった。2度と事故を起こしてはならないというピリピリした雰囲気がスタッフの間に漂い、神山繁ももう三島に何も言わなかった。三島が演技をする前には、増村監督や助監督が危なくないか試してみるほど慎重に行われた。 この夜間ロケは午前0時過ぎまでかかり、無事にラストシーン撮影が終わった。これで『からっ風野郎』の撮影がクランクアップとなった。35日間にわたる全ての演技を終えた三島は、「“やくざぼんち”みたいな役柄」が自分の個性に合っていたのは幸いだったが、ラッシュを見ると自分のみじめさが目立ち、もう映画出演はもうコリゴリで「ブルブルですよ」とコメントした。 それが、ぜんぜん新しい三島由紀夫がないんだ。やはり、これもオレなんだなと思う。ただフィルムの上の三島由紀夫は実にかわいいな。一生懸命やってやがるな、せまいワクの中でムキになってやがるな。……ちょうど、息を切らして走っているマラソン走者を見る感じて、かわいそうになったくらいだ。 — 三島由紀夫「俳優はもうゴメン?“三島由紀夫の演技”自己批判」
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