ヨーロッパ数学の復活(西暦1,100〜1,400年頃)
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12世紀に、ヨーロッパの学者はアラビア語科学文献を求めてスペインとシチリア島に旅行した。これにはチェスターのロバートによりラテン語に翻訳されたフワーリズミーの『ヒサーブ・アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ』、バースのアデラード、カリンツィアのヘルマン (Herman of Carinthia) 、クレモナのジェラルドにより様々な版が翻訳されたエウクレイデスのユークリッド原論の完全な書が含まれる。 これらの新しい文献は数学の復活をもたらした。レオナルド・フィボナッチは1202年著・1254年改訂の『算盤の書』 (Liber Abaci) を著し、エラトステネスの時代から1,000年以上を経て、ヨーロッパの最初の重要な数学をもたらした。この数学書はヨーロッパにインド・アラビア数字を導入し、他の多くの数学問題が議論された。14世紀には、幅広い問題を研究するための新たな数学の観念の発展が見られた。数学の発展に貢献した重要な分野は、軌跡の動きの分析に関するものであった。 トーマス・ブラッドワーディン (Thomas Bradwardine) は、力(F)が抵抗(R)に対して幾何学的比例で増加するように、速度(V)が算術的比率で増加することを主張した。ブラッドワーディンはこれを特定の例の一連で示し、対数はまだ発想されていなかったが、彼の結論を時代錯誤的に次のように表すことができる:V = log F/R。ブラッドワーディンの解析はアル=キンディーとヴィラノバのアーノルド (Arnaldus de Villa Nova) の数学的手法を複合薬の種類を異なる物理的問題に定量化するために移しかえた例である。 14世紀のオックスフォード大学マートン・カレッジの1人、ヘイツベリーのウィリアムは、微分法と極限の概念を欠きながら、ある瞬間の速度を『もし……与えられた瞬間に動く速度が同じ度合いで均一に動くならば、[物体が]描くであろう軌道により』測定することを提案した。 ヘイツベリーらは、均一に動作を加速する物体が移動する距離(現代では積分法で解決できる)を数学的に測定し、『均一に[速度の]増分を加速または減速する物体が、与えられた時間で移動する[距離]は、平均の[速度の]度合いで同じ時間の間継続して動作するものと完全に等しい』と述べた。 パリ大学のニコル・オレームとイタリア人のカサーリのジョバンニはそれぞれ、この関係を図示し、一定の加速を描く線の下の領域が、総移動距離を示すことを主張した。後にエウクレイデスの『原論』の数学的解説書で、オレームはより詳細な全体的分析を行い、物体は各々の継続した増分の時間で奇数として増加する特性の増分を得ることを論証した。エウクレイデスは(一定量以下のすべての)奇数の和は平方数になることを証明したため、物体の増分で得る特性の総計は時間の二乗で増加する。
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