メタ哲学と存在論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:38 UTC 版)
「ヒラリー・パトナム」の記事における「メタ哲学と存在論」の解説
パトナムは1970年代末から1980年代にかけて、数学的論理学による推論やクワインのいくつかの着想から刺激を受け、長年保持してきた「形而上学的実在論」の立場を放棄した。形而上学的実在論とは、外界に存在する範疇や構造は人間精神による概念化とは因果論的にも存在論的にも無関係だとする立場のことである。パトナムはこれに代えて「内在的実在論」と名づけるまるで異なる立場に立った。 内在的実在論とは、世界は因果論的には人間精神と無関係だが、世界の構造--世界の種、個体、範疇への分割--は人間精神と相関しており、従って世界そのものも存在論的には人間関係と無関係ではないとする見解である。全体としては、われわれの世界認識は「思考範疇」に依存しているとするカントの考え方に影響を受けた立場である。 パトナムによれば形而上学的実在論には、指示の可能性と真理とを説明できないという問題がある。形而上学的実在論の立場では、われわれの概念や範疇によって指示が行われるのは、それらがもともと外界に存在するあらかじめ構築された範疇や種や個体と何らかの言い難い仕方で合致しているからである。しかし世界がみずからをいくつかの構造や範疇に「切り分け」る一方、心が世界をそれ自身の構造と範疇に切り分けており、そして両者の「切り分け」方が完璧に符合しているなどということがどうして可能なのだろうか。この問いには、世界があらかじめ構造化されているなどということはなく、人間精神によって、その概念図式によって構造を押しつけられていると答えるほかないのである。 同様の見解はすでに1956年にネルソン・グッドマンによって著書『事実・虚構・予言』の中で述べられている。さらに同著においてグッドマンは「一つの世界などというものはなく、人間精神によってそれぞれ作りだされる多数の世界がある」とまで示唆している。パトナムはこの種の社会構築主義は斥けたが、現実についての正しい記述は多数ありうるという考えは保持した。これらの記述のうちどの一つをとっても、世界の「唯一正しい」記述だと科学的に証明できるものはない。パトナムによればこの考えは相対主義を含意するものではない。なぜなら「すべての」記述が同等に正しいわけではないし、正しい記述のおのおのも個々の主体によって決定されるものではないからである。 またパトナムはチャールズ・パースとウィリアム・ジェームズから示唆を得て、事実判断か価値判断かを一律に分離することができないと考えるようになった。すなわち倫理的・美的判断はしばしば事実を基礎にしており、科学的判断は倫理学的要素を含んでいるというのである。
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