マーク・アーモンドとは? わかりやすく解説

マーク・アーモンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 01:11 UTC 版)

マーク・アーモンド
Marc Almond
ドイツ・ドイツェン公演(2018年)
基本情報
出生名 ピーター・マーク・シンクレア・アーモンド
生誕 (1957-07-09) 1957年7月9日(67歳)
出身地 イングランド ランカシャー州サウスポート
ジャンル シャンソンテクノポップロック
職業 シンガーソングライター
活動期間 1976年 -
レーベル サム・ビザール、ヴァージンサイアー、エコー・レーベル、Blue Star、サンクチュアリヴァーティゴ
共同作業者 ソフト・セル、マーク・アンド・ザ・マンバス
公式サイト marcalmond.co.uk

マーク・アーモンドMarc Almond、出生名: Peter Mark Sinclair Almond、ピーター・マーク・シンクレア・アーモンド、OBE1957年7月9日 - )は、イギリスのミュージシャン。ソフト・セルボーカルとして有名となった。

※主に1970年代に活動したイギリスのロックバンド「マーク=アーモンド(Mark-Almond)」と混同しないよう注意が必要。

生い立ち

1957年7月9日、イングランドランカシャー州サウスポートで、サンドラ・マリー・アーモンド(旧姓Dieson)とピーター・ジョン・シンクレア・アーモンドの子として生まれた。14歳の時、自動車事故のため、左耳の聴力をほぼ失う障害が残った。グラマー・スクールの生徒だった頃から、父がアルコール中毒となり、音楽に慰めを見いだすようになった。

影響

母の「Let's Dance」(クリス・モンテス)、「The Twist」(チャビー・チェッカー)、父のデイヴ・ブルーベックなど、両親のレコード・コレクションを聴いて育った。スコット・ウォーカーマーク・ボランブライアン・イーノデヴィッド・ボウイのファンである。

音楽キャリアと後半生

1980初頭、ソフト・セルとして、エレクトロニック・ビートのスタンスでヒット曲を発表してきた。「汚れ無き愛 (Tainted Love)」、「ベッドの上が僕の国 (Bed sitter)」(全英3位)、「トーチ」(全英2位)、「さよならと言って別れて (Say Hello Wave Goodbye)」(全英3位)、「ソール・インサイド」(全英16位)、「ホワット」(全英3位) 、そしてクラブヒットの「メモラビリア」である。1984年、最後の4枚目となるスタジオ・アルバム『ソドムの夜』のリリース後に解散したが、2001年に再結成。アルバム『クルーエルティ・ウィズアウト・ビューティー』を2002年に発表している。

ソフト・セルでの成功後、様々なジャンルの音楽家とコラボレーションを行っている。アンソニー・アンド・ザ・ジョンソン、ジュールズ・ホランド、スージー・スー、ニック・ケイヴ、P.J.プロビー、ニコ、ケリー・アリ(スニーカー・ピンプスのボーカル)、ニールX、マリー・フランス、アグネス・バーネル、リディア・ランチ、ジーン・ピットニーフィータス、ジミー・ソマーヴィル(コミュナーズブロンスキ・ビート)、サイキックTVコイル、サリー・ティムス、キング・ロック、ジョン・ケイル、デヴィッド・ヨハンセン(ニューヨーク・ドールズ)などである。

ソロで最大のヒットは、1989年、往年のスター歌手ジーン・ピットニーとの共演によるカバー曲「Something's Gotten Hold of My Heart」(全英1位)である。1991年にはデイヴィッド・マクウィリアムスの「The Days of Pearly Spence」が全英4位、1985年にはジミー・ソマーヴィルとブロンスキ・ビートと共にドナ・サマーの「I Feel Love」をカバーして全英3位のヒットを記録している。オリジナル作品では、「Stories of Johnny」(23位、1985年)、「Tears Run Rings」(28位、1988年)、「Adored and Explored」(25位、1995年)がヒットした。

カバー曲では、エレクトロニックやダンス・ミュージックからフランスのシャンソン、ピアノ・バラードから、ロシアのロマンス曲、ノーザンソウルやディスコなどが挙げられる。1989年にジャック・ブレルのカバー曲をアルバム化した『ジャッキー』をリリースしている。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『化身』 - Vermin in Ermine (1984年、Some Bizzare/Vertigo) ※with ウィリング・シナーズ
  • 『ジョニーの物語』 - Stories of Johnny (1985年、Some Bizzare/Virgin) ※with ウィリング・シナーズ
  • Mother Fist and Her Five Daughters (1987年、Some Bizzare/Virgin) ※with ウィリング・シナーズ
  • 『スターズ・ウィー・アー』 - The Stars We Are (1988年、Parlophone/Capitol) ※旧邦題『ザ・スターズ』
  • 『ジャッキー』 - Jacques (1989年、Some Bizzare/Rough Trade)
  • 『エンチャント』 - Enchanted (1990年、Parlophone/Capitol) ※旧邦題『魔法にかけられた王子』
  • 『テネメント・シンフォニー』 - Tenement Symphony (1991年、WEA/Sire/Reprise)
  • Absinthe (1993年、Some Bizzare/Play It Again Sam)
  • 『ファンタスティック・スター』 - Fantastic Star (1996年、Some Bizzare/Mercury)
  • 『オープン・オール・ナイト』 - Open All Night (1999年、Blue Star Music/Instinct)
  • 『ストレンジャー・シングス』 - Stranger Things (2001年、Blue Star Music/XIII Bis)
  • Heart on Snow (2003年、XIII BIS/Blue Star Music/Psychobaby)
  • Stardom Road (2007年、Sequel/Sanctuary/BMG Direct Marketing)
  • Orpheus in Exile (2009年、Strike Force Entertainment/Cherry Red) ※with Alexei Fedorov
  • Varieté (2010年、Strike Force Entertainment/Cherry Red)
  • Feasting with Panthers (2011年、Strike Force Entertainment/Cherry Red) ※with マイケル・キャッシュモア
  • The Tyburn Tree (Dark London) (2014年、Sospiro Noir)
  • The Dancing Marquis (2014年、Strike Force Entertainment/Cherry Red)
  • 『テン・プレイグス』 - Ten Plagues - A Song Cycle (2014年、Strike Force Entertainment/Cherry Red)
  • 『ザ・ヴェルヴェット・トレイル』 - The Velvet Trail (2015年、Strike Force Entertainment/Cherry Red)
  • Against Nature (2015年)
  • Silver City Ride (2016年、Closing The Circle) ※with Starcluster
  • Shadows and Reflections (2017年、BMG)
  • How To Destroy Angels (2018年、Cold Spring) ※with コイル、Zos Kia
  • A Lovely Life to Live (2018年、Rhino) ※with ジュールズ・ホランド
  • Chaos and a Dancing Star (2020年、BMG)
  • 『ザ・シングス・ウィ・ロスト』 - Things We Lost (2022年、Strike Force Entertainment)

EP

  • A Woman's Story (Some Songs to Take to the Tomb – Compilation One) (1986年、Some Bizzare Virgin) ※ミニ・アルバム
  • Violent Silence (1986年、Some Bizzare) ※ミニ・アルバム
  • Slut (1987年、Some Bizarre) ※The Flesh Volcano名義
  • Brel Extras (2008年、Blue Star Music) ※公式ウェブサイト・リリース
  • Nijinski Heart EP (2010年、Strike Force Entertainment Cherry Red) ※ダウンロード
  • Tasmanian Tiger EP (2014年、Strike Force Entertainment Cherry Red)
  • Things We Lost (2022年、Cherry Red)[1]

ライブ・アルバム

  • 『12イヤーズ・オブ・ティアーズ』 - 12 Years of Tears - Live at the Royal Albert Hall (1993年)
  • Live in Concert (1998年)
  • Live at Liverpool Philharmonic Hall, 1992 (2000年)
  • Live at the Union Chapel (2001年)
  • The Willing Sinner - Live at the Passion Church, Berlin (2003年)
  • In 'Bluegate Fields' - Live at Wilton's Music Hall (2008年)
  • Marc in Soho - Live at the London Palladium Soho Jazz Festival 1986 (2009年)
  • Live in Barcelona at the Apollo 2007 - A Blue Star Official Bootleg (2012年)

マーク・アンド・マンバス

  • 『アンタイトルド』 - Untitled (1982年)
  • 『トーメント・アンド・トレーロズ』 - Torment and Toreros (1983年)
  • Bite Black and Blues Live (1984年) ※ラウル・アンド・ルーインド名義、ファンクラブ限定

シングル

タイトル 付記 チャート最高位
全英 アイルランド[2]
1982 "Sleaze" マーク・アンド・マンバス名義。ファンクラブ限定 - -
1983 "Black Heart" b/w "Your Aura" マーク・アンド・マンバス名義 49 -
"Torment" b/w "You'll Never See Me on a Sunday" マーク・アンド・マンバス名義 90 -
1984 "The Boy Who Came Back" b/w "Joey Demento" 52 -
"You Have" b/w "Split Lip" 57 -
"Tenderness Is a Weakness" b/w "Love for Sale" 88 -
1985 "I Feel Love" ブロンスキ・ビート with マーク・アーモンド 3 3
"Skin" with ガイ・チェンバース。The Burmoe Brothers名義 - -
"Stories of Johnny" 23 17
"Love Letter" 68 -
1986 "The House Is Haunted (By the Echo of Your Last Goodbye)" 55 -
"A Woman's Story" 41 -
"Ruby Red" 47 -
1987 "Melancholy Rose" 71 -
"Mother Fist" 93 -
"This House Is a House of Trouble" with サリー・ティムズ(メコン)、ドリフティング・カウガールズ - -
1988 "Tears Run Rings" 全米Billboard Hot 100チャート67位[3] 26 -
"Bitter Sweet" 40 -
"Something's Gotten Hold of My Heart" フィーチャリング・ジーン・ピットニー 1 1
1989 "Only the Moment" 45 26
1990 "A Lover Spurned" 29 -
"The Desperate Hours" 45 -
"Waifs and Strays" 88 -
1991 "Say Hello Wave Goodbye '91" with ソフト・セル 38 -
"Tainted Love '91" with ソフト・セル 5 4
"Jacky" 17 14
1992 "My Hand Over My Heart" 33 -
"The Days of Pearly Spencer" 4 8
1993 "What Make a Man a Man" 60 -
1995 "Adored and Explored" 25 -
"The Idol" 44 -
"Child Star" 41 -
1996 "Out There" / "Brilliant Creatures" 76 -
"Yesterday Has Gone" with P.J.プロビー、マイ・ライフ・ストーリー・オーケストラ 58 -
1998 "Black Kiss" 97 -
1999 "Tragedy (Take a Look and See)" 144 -
"My Love" / "Threat of Love" with ザ・クリーチャーズ - -
2001 "Please Stay" with メコン 91 -
"Glorious" - -
"Total Eclipse" with ローゼンシュトルツ、ニナ・ハーゲン - -
"Soul on Soul" with System F - -
2003 "Gone But Not Forgotten" - -
2004 "Vanity Poverty Revenge/Neo Burlesque" Punx Soundcheck featuring Marc Almond - -
"Sheherezade" 限定ヴァイナル盤のみ - -
"Face Control EP" Replicant & Marc Almond - -
2005 "Delirious" 限定盤 - -
"Prime Evil" 限定ダンス・リリース - -
"Perfect Honey" 限定ダンス・リリース - -
"Baby's on Fire" T-Total featuring Marc Almond - -
2007 "I Close My Eyes and Count to Ten" with サラ・クラックネル、ダウンロード限定 43 -

ソフト・セル

  • 『ノン・ストップ・エロティック・キャバレー』 - Non-Stop Erotic Cabaret (1981年)
  • Non-Stop Ecstatic Dancing (1982年)
  • 『別れの美学』 - The Art of Falling Apart (1983年)
  • 『ソドムの夜』 - This Last Night in Sodom (1984年)
  • 『クルーエルティ・ウィズアウト・ビューティー』 - Cruelty Without Beauty (2002年)
  • Live (2003年) ※ライブ
  • Soft Cell at the BBC (2003年) ※ライブ
  • Say Hello, Wave Goodbye: Live (2005年) ※ライブ
  • Say Hello, Wave Goodbye – 2019 (2019年) ※ライブ

脚注

  1. ^ Marc Almond – Things We Lost”. Retro Pop Magaizne (26 October 2022). 1 November 2022閲覧。
  2. ^ The Irish Charts - All there is to know”. irishcharts.ie. 2008年8月20日閲覧。
  3. ^ Billboard.com - Artist Chart History - Marc Almond”. Billboard. 2011年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月20日閲覧。

外部リンク


マーク=アーモンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 10:21 UTC 版)

マーク=アーモンド
出身地 イングランド
ジャンル ジャズ・ロック
活動期間 1970年 - 1972年
1975年 - 1981年
1996年
レーベル ブルー・サム・レコード
コロムビア・レコード
ABCレコード
ホライゾン・レコード
旧メンバー ジョン・マーク
ジョニー・アーモンド

マーク=アーモンドMark-Almond)は、イングランド出身のジョン・マーク英語版ジョニー・アーモンド英語版の2人を中心としたジャズ・ロック・バンド。米国を拠点に活動し、後のAORの源流とも言える、ジャジーで洗練されたアコースティック・サウンドが魅力[1]

経歴

1960年代、セッション・ギタリストとして活躍していたジョン・マークとサックス/フルート奏者であるジョニー・アーモンドは、1969年ブルースブレイカーズ解散後のジョン・メイオールのバンドで知り合い、2枚のスタジオ・アルバムに参加後、自分たちのバンドを結成する決意をする。米国のジャズ/ブルース系レーベルであるブルー・サム・レコードと契約し、ロジャー・サットン(ベース)とトミー・アイアー英語版(キーボード)を加えて、1971年『マーク=アーモンド(Mark-Almond)』でデビュー。翌1972年のセカンドアルバム『マーク=アーモンドⅡ(Mark-Almond II)』からニューヨーク出身のベテランドラマーであるダニー・リッチモンドが加わるが、本作をもってサットンとアイアーがバンドから離脱する。

コロムビア・レコード移籍後、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース英語版に参加していたコリン・ギブソン英語版(ベース)とケニー・クラドック英語版(キーボード)、さらにアーモンドのソロプロジェクトである「ジョニー・アーモンド・ミュージック・マシーン」のレコーディングにも参加していたジェフ・コンドン(トランペット、フルート、キーボード)が迎えられ、6人編成でサードアルバム『復活(Rising)』(1972年)をリリース。

その後ギブソンとクラドックが抜け、マークとのデュオ「ジョン&アラン」や、マークも在籍していた「スウィート・サーズデイ英語版」のメンバーだったアラン・デイヴィス英語版を含めた7人編成となり『マーク=アーモンド・73(Mark-Almond 73)』(1973年)をリリース。このアルバムはライヴ・レコーディング3曲、スタジオ・レコーディング3曲から成り、ゲスト・ミュージシャンとしてニッキー・ホプキンスが参加している[2]。しかし1972年にマークがジョー・コッカーとのツアーで訪れていたハワイで木から落ちて左手薬指を失う事故に見舞われ、残りのツアーはキャンセルとなり、バンドは解散する[3]

マークは1975年にソロ・アルバム『友に捧げる唄(Songs For A Friend)』で音楽活動を再開する。同年、アーモンドと再会しバンドの再編を決め、1976年に3年ぶりのアルバム『心に...(To The Heart)』をABCレコードからリリース[3]。本作からはマークとアーモンド2人のユニットとなり、レコーディングには元メンバーのトミー・アイアーや、ビリー・コブハムジム・ゴードンといった名だたるドラマーがゲストに迎えられている[4]

1978年A&Mレコード傘下のホライゾン・レコードと新たな契約を結び、デビューアルバムに収録されていた「ザ・シティ(The City)」の新バージョンを含む『アザー・ピープルズ・ルーム(Other Peoples Rooms)』をリリース[3]1980年初頭まで活動を継続した後に解散。1990年代半ばに再々結成され、マークが設立したホワイト・クラウド・レーベルからアルバム『Nightmusic』(1996年)を発表する。

主なメンバー

  • ジョン・マーク(Jon Mark - ギター、ボーカル担当
1943年5月8日 - 2021年2月10日
イングランドのコーンウォール州ファルマス出身。
1960年代初頭のブリティッシュロック全盛の中で、スタジオ・ギタリスト兼プロデューサーとして活動。1963年、マークの幼馴染で、後にマーク=アーモンドにも参加するアラン・デイヴィスとのデュオ「ジョン&アラン」でアルバムを1枚制作する[5]1965年からマリアンヌ・フェイスフルのレコーディングとコンサートに参加。マークは彼女の楽曲の作詞・編曲を手掛ける[1]1968年には、アラン・デイヴィスやニッキー・ホプキンスと「スウィート・サーズデイ」を結成、翌年にアルバムをリリース。
1985年にはニュージーランドに移住。1993年に設立した自身のレーベル「ホワイト・クラウド」からニューエイジ・ミュージックの作品を多数リリースした。マークが妻のテルマ・バーチェルと制作したアルバム『Sacred Tibetan Chant』は、2004年にグラミー賞の最優秀トラディショナル・ワールドミュージック・アルバム賞を受賞した[5]
2021年、77歳で亡くなった[1]
  • ジョニー・アーモンド(Johnny Almond - サックス、フルート、ボーカル担当
1946年7月20日 - 2009年11月18日
イングランドのミドルセックス州(現ロンドン特別区インフィールド出身。
1960年代後半に、アニマルズのオリジナルキーボード奏者であるアラン・プライスが結成したアラン・プライス・セットやズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド英語版など、数多くのセッションワークに携わっていた。1969年、ジョニー・アーモンド・ミュージック・マシーン(Johnny Almond's Music Machine)を結成して2枚のアルバムをリリース[3]。並行して、ジョン・メイオールのバンドに参加する。
2009年カリフォルニア州ヘイワードにてがんのため63歳で亡くなった[6][7]
  • ロジャー・サットン(Roger Sutton) - ベース担当
イングランドのミドルセックス州(現ロンドン特別区)アイズルワース出身[8]
1960年代初頭にブライアン・ベントレー&ザ・キングスメンのメンバーとして、また同グループのメンバー・チェンジを経て結成されたファイヴ・エンバースで活動。1960年代後半には、「ブライアン・オーガー・アンド・ザ・トリニティー」や、ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドのポール・ウイリアムス英語版が結成したポール・ウイリアムス・セット(ジョニー・アーモンドやジェフ・コンドンも在籍)に加入[8]。ジョニー・アーモンド・ミュージック・マシーンのアルバム『Patent Pending』や、エインズレー・ダンバーのブルー・ホエールにも参加。
1972年、マーク=アーモンド在籍中にトミー・アイアーと「ストラビスマス(Strabismus)」というプロジェクトを立ち上げアルバムを制作する(当時はリリースされず、1999年に『Outside Looking In』として日の目を見る)。マーク=アーモンド脱退後、ストラビスマスを母体とした「リフ・ラフ英語版」を結成し、2枚のアルバムを制作。1974年ニュークリアスに加入した。
  • トミー・アイアー(Tommy Eyre - キーボード担当
1949年6月5日 - 2001年5月22日
イングランド・シェフィールド出身。
1968年にジョー・コッカーのバンドに加入。全英シングルチャートで第1位を獲得した「心の友(ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ)」の印象的なオルガンはアイアーによるもの。1969年初頭にはコッカーのバンドを脱退し、エインズレー・ダンバー・リタリエイションやブルー・ホエールに加入する[9]
マーク=アーモンドで2枚のアルバムを制作後、ロジャー・サットンとリフ・ラフを結成。マーク=アーモンド脱退後も、1976年のアルバム『心に...』や、ジョン・マークの1975年のソロ・アルバム『友に捧げる唄』のレコーディングに参加している。1978年、センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドに加入。同年、ジェリー・ラファティー英語版のアルバム『シティ・トゥ・シティ』に参加し、ヒット曲「霧のベイカー街」はグラミー賞にもノミネートされた[10]。1980年代以降は、ゲイリー・ムーアグレッグ・レイクマイケル・シェンカー・グループなど数々のアーティストのレコーディングおよびツアーメンバーとして活動。1983年からはワム!の音楽ディレクターを務め、「クラブ・トロピカーナ」や「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」といったヒットシングルに携わり、1986年6月のウェンブリー・スタジアム公演を最後に解散す​​るまで、このポップ・デュオのバックバンドを率いた[10]
2001年ロサンゼルスにて食道がんのため51歳で亡くなった。
1931年12月15日 - 1988年3月16日
ニューヨーク市で生まれ、ノースカロライナ州グリーンズボロで育つ。
もともとはテナーサックス奏者で、10代の頃はポール・ウイリアムス英語版(サックス奏者)のバンドでR&Bを演奏していた。1955年にドラムを始め、その半年後にはチャールズ・ミンガスのバンドにドラマーとして加入し、1979年にミンガスが亡くなるまでのほとんどのセッションに参加した。ミンガスの活動休止中には、マーク=アーモンド以外にチェット・ベイカー、ジョー・コッカー、エルトン・ジョンなどと活動した[11]
1988年ハーレムにて心臓発作のため56歳で亡くなった[12]

ディスコグラフィ

  • 『マーク=アーモンド』- Mark-Almond(1970年)(旧邦題:マークとアーモンドの世界)
  • 『マーク=アーモンドⅡ』- Mark-Almond II(1971年)(旧邦題:マークとアーモンド第2集)
  • 『復活』- Rising(1972年)
  • 『マーク=アーモンド・73』- Mark-Almond 73(1973年)
  • 『心に...』- To The Heart(1976年)
  • 『アザー・ピープルズ・ルーム』- Other Peoples Rooms(1978年)
  • Nightmusic(1996年)

脚注

  1. ^ a b c マーク=アーモンドのジョン・マークが死去”. amass (2021年2月14日). 2025年5月25日閲覧。
  2. ^ マーク=アーモンド・73”. SonyMusic. 2025年5月25日閲覧。
  3. ^ a b c d Pareles, Jon; Romanowski, Patricia, eds (1983). The Rolling Stone Encyclopedia of Rock & Roll. London: Rolling Stone Press 
  4. ^ Mark-Almond – To The Heart”. Discogs. 2025年5月25日閲覧。
  5. ^ a b Obituary - John Michael Burchell (aka Jon Mark) 8 May 1943 - 10 February 2021” (英語). The Eastbourne Herald. p. 8 (2021年6月26日). 2025年5月25日閲覧。
  6. ^ Mark-Almond”. Discogs. 2025年5月25日閲覧。
  7. ^ Johnny Almond”. Discogs. 2025年5月25日閲覧。
  8. ^ a b Paul Williams Set - 'My Sly Sadie'”. 45cat.com. 2025年5月25日閲覧。
  9. ^ Obituary - Tommy Eyre” (英語). The Guardian (2001年6月1日). 2025年5月25日閲覧。
  10. ^ a b Perrone, Pierre (2001年6月13日). “Obituary - Tommy Eyre”. The Independent. 2025年5月25日閲覧。
  11. ^ Yanow, Scott. “Dannie Richmond - Biography” (英語). Blue Note. 2025年5月25日閲覧。
  12. ^ Dannie Richmond, 56, Drummer With Mingus”. The New York Times (1988年3月18日). 2025年5月25日閲覧。




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