マッスルカー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 10:06 UTC 版)
「クライスラー・ヘミエンジン」の記事における「マッスルカー時代」の解説
1950年、クライスラーはニューヨーカーなどのモデルの1951年モデルイヤーを発表した席上で、半球状の燃焼室を備えたヘッドを搭載したV8エンジンを発表した。従来のOHVに比べ高出力を可能としたこのエンジンは、クライスラーが第二次大戦中に得たノウハウを自動車用に転用したものであった。このエンジンの名称は後年の「ヘミ」ではなく、当初「ファイアパワー」の名で発表された。ファイアパワーの最初のバージョンは331cui(5.4L)で、180馬力(134.2kW)を発生した。 1930年代後期以降のクライスラー各車は、実用重視の背高な車室を持つ大人しいデザインが基調で、エンジンも保守的なサイドバルブ直列6気筒・直列8気筒を搭載しており、使い勝手はともかく華やかさに乏しいと見られていたが、ファイアパワーエンジンの投入は市場から注目された。既にゼネラルモーターズ(GM)は1948年以降戦後型モデルで新型V8エンジンを続々投入し、パワー競争に先行していたが、クライスラーの挑戦はこれを炎上させることになり、ビッグ3でも唯一OHV化に立ち遅れていたフォード・モーターをも否応なくパワー競争に巻き込んだ。クライスラー車は1955年モデルからデザインも華やかで過激なものとなり、パワフルなエンジンとの組み合わせで、大いにイメージアップを達成する。 クライスラーはファイアパワーを積極的に展開し、クライスラーの各部門毎にさまざまなバージョンのファイアパワーエンジンを設定した。しかしこれらの異なるバージョンのファイアパワーは、基本的な機構を同じとしながらも共通の部分をほとんど有していなかった。それは名称ひとつとっても顕著で、販売部門ごとにそれぞれ名称を変えられており、「ファイアパワー」の名はクライスラーとインペリアルで採用され、デソートでは「ファイアドーム」と呼ばれた。ダッジにはより小さなバージョンのエンジンが提供され、これは「レッドラム」と呼ばれた。また、唯一プリムスにはファイアパワーは設定されなかった。 これらの1951年-1958年のヘミエンジンは、後年からは一般的に、発売当時の愛称「ファイアパワー」ではなく第一世代ヘミエンジンと呼ばれる。クライスラーがよりコストに勝るウェッジシェイプヘッドのB型エンジンにシフトしていったため、ヘミを搭載したモデルは1959年以降設定されなかった。 しかし1960年代初頭にマッスルカーを使用したレースがブームとなると、エンジン自体が高性能化を求められていく中で、機構上高出力が稼げるヘミエンジンに再び注目が集まり、1964年に復活することとなった。新たに設定されたヘミは426cui(7.0L)で、プリムス・ベルヴェデアのレーシングバージョンにて採用された。復活当初は競技用のみ提供され市販はされなかったが、NASCARへ参加するレギュレーションを満たすために、「ストリート・ヘミ」と呼ばれる市販バージョンを開発、ダッジ・コロネットやプリムス・ベルヴェデアに搭載して販売を行った。ヘミを搭載したモデルはNHRAのドラッグレースでも使用され、人気を博した。1960年代に販売されたヘミエンジンは、後のモデルと区別するために第二世代ヘミエンジンと呼ばれ、その大きさから「エレファント・エンジン」の愛称でも呼ばれていた。 だが厳しくなる排気ガス規制や1970年代初頭に発生したオイルショックのあおりを受け、1971年モデルを最後に排気ガスや燃費に劣るヘミエンジンは再び姿を消すこととなる。
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