マクマリー覚書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 03:08 UTC 版)
「ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー」の記事における「マクマリー覚書」の解説
1935年、東アジアでの緊張が高まると、国務省極東部長スタンリー・ホーンベックはマクマリーに現地の情勢について覚書を書くよう依頼した。「極東におけるアメリカの政策に影響を及ぼす発展」というタイトルの覚書で、マクマリーは日本に対するアメリカの外交政策と関連する多くの根本的な仮定に異議を唱えた。日中間の紛争をめぐって日本が「理由のない侵略者」というのが通説だ。しかし、マクマリーは中国とアメリカの政策が日本の侵略的な行動を招くことに部分的に責任があると指摘した。1920年代にかけて日本はワシントン会議で合意された軍縮条約と協定を遵守したが、アメリカ、イギリス、中国はそうした条件をしばしば弱めた。 マクマリーは1931年に満州事変が勃発するまで「日本政府はこうした約束に応じるために非の打ち所のない善意の努力をした」と書いた(協調外交)。ワシントン会議で進展した軍縮及び中国に対する門戸開放政策の成否は、実は中国自身とイギリス、そしてアメリカの手にかかっていた。歴史学者アーサー・ウォルドロンによると、マクマレーは特に「中国が(九カ国条約により)保障された彼らの国際的地位を利用して外国との条約が規定した法的な枠組みを組織的に破り、そうすることで日本の怒りを招いた」という事実を発見した。アメリカがワシントン体制下の諸条約に従おうとする日本の努力を重視すべきだった。マクマリーはアメリカが中国と緊密に協力するよりも、日本の大陸進出をある程度容認すべきだと提言し、これを阻止した場合、必ず日本との戦争が起こると予測した。 マクマリーの覚書によると、日米戦争の経過は次のようなものだった。 日本の中国支配に反対し、それを挫折させるためにできる限りの手段と機会を積極的に取ることを…一貫して断固として追い求めるなら、ほぼやむを得ず日本との戦争を意味するだろう。そんな戦争は私たちの勝利を仮定しても私たちにとって大きな不幸になるだろう。…それは身の毛がよだつほど長く、費用が多くかかる過程になるだろう。…日本の除去が可能でも、これは極東や世界に祝福にならない。それは単に新しい一連の緊張を生み出すだけであり、東洋に対する支配力のライバルとして(そして少なくとも同様に非良心的で危険な)、ロシア帝国の後継者としてのソ連が日本に代わるだろう。誰もその戦争でロシア以外には勝利を得ることはできないだろう。 マクマリーの覚書は国務省によって直ちに保留され、選別された記録保管所に送られ、注目されないまま葬られた。1951年、ジョージ・ケナンはマクマリーの覚書を引用し、戦間期のアメリカの極東政策とその間違いを批評する講義資料として活用しており、1992年にはペンシルバニア大学の歴史学者アーサー・ウォルドロンが同覚書の内容を整理した「平和はいかに失われたか(How the Peace was Lost)」を初めて出版した。
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