マオリの到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 08:36 UTC 版)
「ニュージーランドの歴史」の記事における「マオリの到来」の解説
現在ニュージーランドに居住する先住民族マオリの伝承では、「祖先はハワイキからワカに乗り、海を渡ってやってきた」とされている。彼らがニュージーランドにいつ、どこからやってきたのかに関する年代は明確になっておらず、言語学的な推察と、ニュージーランドに残る遺跡の放射性炭素年代測定から、およそ1100年から1200年ごろにクック諸島、ソシエテ諸島あるいはマルケサス諸島からニュージーランド北島へ渡来したものと考えられている。元来、漁撈・農耕を営んでいた彼らはニュージーランド渡来後、狩猟を中心とした生活に変化した。狩猟対象となったのはアザラシやニュージーランド原産の無翼巨鳥モアで、数多くの狩猟遺跡が、島の各地に残されている。1960年代、大量のモアの骨が狩猟遺跡から発見された際には従来のポリネシア人のライフスタイルとのあまりの相違から、マオリ渡来よりも前に先住民族(モア・ハンター)がいたのではないかとする推測がなされたが、現代ではマオリ自身の生業の中心が漁撈から狩猟に転換したに過ぎない相違であるという意見が一般的となっている。 モアは大量の食料を供給するだけでなく、その骨は釣り針や装身具、工具材として利用され、羽毛はケープや首飾りに用いられるなど、マオリの生活文化に密接に関わっていた。マオリはモアを追いつつその居住地域を北島から南島へと徐々に広げていった。モアの狩猟は1300年代をピークとして、個体数の減少から徐々に衰退していったが、ほぼ絶滅したと見られる1550年ごろまで行われた。モアの減少に伴いマオリの生活スタイルにも変化が見られるようになり、ポリネシアから持ち込んだタロイモやサツマイモの栽培、魚介類や海獣類の捕獲が生活基盤を支えるようになっていった。モアを追って拡散した人々はやがてその地理的・気候的な環境差異から、独自の生活文化を生み出すようになった。北部では植物栽培を中心とした生活が見られ、南部やチャタム諸島などでは脂肪分の多い海獣が重要な食料資源とされていた。 1500年ごろに入ると塹壕や木製の柵や城壁を備えたパ(砦)が急速に普及するようになる。これは集団地域交流と並存して部族間の戦闘が断続的に行われていたことが原因と考えられている。パはニュージーランド全域に6,000を超える数が記録されており、特に人口密度の高かった北島北部に多く残されている。
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