ポストコロニアルの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:45 UTC 版)
「イスラム経済」の記事における「ポストコロニアルの時代」の解説
現代のポストコロニアル時代に入ると、経済学を含め西洋思想がイスラム世界にも影響を及ぼし始め、イスラム独自の経済学を模索する動きが見られるようになった。イスラム教は「精神的支柱のみならず生活基盤」である以上、非イスラム世界とは別の、そしてそれよりも優れた経済体制を確立する必要があったが、現在までのところイスラム経済(学)についての明確な合意は得られていない。 1940年代には、南アジアのイスラム復興運動の指導者だったマウドゥーディーが経済を論じた。ヨーロッパによる近代資本主義の不公正を批判しつつ、その利点を活用するというアプローチをとる。イスラムにおける公平の理念に反しない私的所有権の容認、ザカートによる所得再分配の必要性などを主張し、マウドゥーディーの経済論は経済学者やイスラム法学者に影響を与えた。パキスタンのラホールでは、1945年にアンワール・イクバール・クレイシー『イスラームと利子の理論』、1947年にマフムード・アフマド『イスラームの経済学』が出版されており、現在のイスラム金融でムダーラバやムシャーラカと呼ばれる手法が提起されている。ムダーラバを用いるアイデアは1950年代のムハンマド・ウザイルの著作や、1969年のスィッディーキー『利子のない銀行』で2段階ムダーラバ論として理論的に発展した。他にもサドル『無利子銀行論』などが存在する。 1960年代から1970年代にかけて、シーア派系の思想家を中心に独自のイスラム経済思想が展開しており、特にアル・サドルはイスラム経済の概念をほぼ独力で発展させたと言われる。サドルらは資本主義やマルクス主義といった、非イスラム圏の理論を論駁する傍ら、イスラムを社会正義や富の公正な配分、そして社会的弱者の救済に与する宗教と規定する傾向が強い。民間の経済活動が一定の範囲内で許される一方で、土地や企業の公的所有(所謂「大きな政府」)を求めるこうした経済思想は、イラン革命にも影響を与えた。1980年代から1990年代にかけては、イラン革命後の共和国政府による経済政策が失敗したことや、非イスラム世界における共産主義国家並びに社会主義政党の崩壊や解散により、政府所有や規制を旨とするイスラム経済は説得力を失っていった。 イスラム経済という語は、利子の追求を目的としないイスラム銀行の設立へと舵を切ることで、形を変えながら今もなお生き永らえている。ムスリムの銀行家や宗教指導者の中には、社会的投資という現代的な概念をイスラム法に適合させる手段として、これを提起する動きがある。イスラーム金融のムシャーラカを用いたマイクロファイナンスや、近代以前からの制度であるワクフを裏付けとしたスクーク発行も関心が高まっている。学術においては、1976年には、サウジアラビアのマッカで第1回近代イスラーム経済学国際会議が開催され、この会議において研究動向が整理され、特にイスラーム金融の成長が著しい2000年以降は活発となっている。
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